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中国ドラマ「大明皇妃」31・32・33・34・35話あらすじとネタバレ

大明皇妃

中国ドラマ「大明皇妃(だいみんこうひ) Empress of the Ming」のあらすじとネタバレを紹介します。

永楽帝はモンゴル高原を征服するため遠征を決断。明軍を率いてオイラトと戦いました。

ところがオイラト軍の作戦にはまって明軍は大損害を受けてしまいます。さらに永楽帝は倒れてしまい起き上がることができなくなりました。

永楽帝は皇太子が政務をとれないと思い。側近の楊士奇に次の皇帝を漢王・朱高煦にしたいと告げるのでした。

 

目次

大明皇妃 の作品情報とキャスト

作品情報

原題:大明風華
英語:Ming Dynasty
製作:2019年中国
全62話

原作小説:「六朝紀事」
     出版時に「大明皇妃 孫若微伝」に改題。
原作者:蓮靜竹衣(本名:李卓)

キャスト

孫若微(そんじゃくび):タン・ウェイ(湯唯)
朱瞻基(しゅせんき):ジュー・ヤーウェン(朱亜文)
胡善祥(こぜんしょう):ドン・ジアジア(鄧家佳)
徐浜(じょひん):チャオ・ジェンユー(喬振宇)
永楽帝・朱棣(しゅてい):ワン・シュエチー(王学圻)
皇太子・朱高熾(しゅこうし):リャン・グァンホア(梁冠華) 
漢王・朱高煦(しゅこうく):ユー・ハオミン(俞灝明)
趙王・朱高燧(しゅこうすい):ルアン・ウォンフイ(欒元暉)

第31話 巨星、墜つ

永楽帝は漢王・高煦を次の皇帝に決めました。永楽帝の命令をうけた楊士奇は奏状を作りました。

楊士奇は書類を提出する前の晩に密かに朱瞻基に見せました。朱瞻基は祖父の決断に驚きます。そして楊士奇は取り乱す朱瞻基を説得して決断を迫るのでした。

明け方。楊士奇は朱瞻基から呼び出しをうけて一緒に永楽帝のもとに行きました。そして皇太子・朱高熾の即位を上奏しました。

永楽帝は朱瞻基を連れてきた楊士奇をみて「やはり瞻基を選ぶのかと」つぶやきました。そして必死の訴えを聞いて皇太子・朱高熾の即位を認めました。

皇太子・朱高熾は眠っていました。朱高熾の夢に永楽帝が出てきて息子に苦労をかけたことを後悔、そして後を継げと言って消えていきます。

朱高熾は驚いて目が醒めました。

1424年。永楽帝はこの世を去りました。

朱瞻基は永楽帝の死を朱高煦と朱高燧に隠しました。そして父である皇太子を即位させようとしますが、かんじんの皇太子が重病を理由に即位を拒否。

朱瞻基は途方に暮れてしまいます。

第32話 新帝の誕生

朱瞻基が目を覚ますと孫若微がいました。皇太子が吐血したと聞かされる朱瞻基ですが。朱瞻基は父の即位を諦めません。瞻基は再び皇太子・朱高熾のもとを訪れました。

朱高熾は朱瞻基にどの道を選んでも苦難がつきまとう事を告げます。そして己の決断を瞻基と張妍に告げるのでした。

戦場では漢王・朱高煦と趙王・朱高燧がどうも様子がおかしいと疑っています。楊士奇から永楽帝の命令と言われるものを聞いても無視。永楽帝の周辺の者や皇太子・朱高熾の動きに不信感を持った2人は楊士奇に頼んで、永楽帝の天幕を訪れました。

そのころ。宮殿では朱高熾が皇帝に即位。

漢王・朱高煦と趙王・朱高燧は永楽帝の崩御を聞かされ、朱高熾が即位すると聞かされます。それを聞いた二人は軍に攻撃命令を出しますが、軍は動きません。

 

第33話 遺詔と公印

朱瞻基は永楽帝の遺体を都まで輸送。漢王・朱高煦と趙王・朱高燧は永楽帝の葬儀に参列するため都へ戻ってきました。

朱瞻基は皇帝(洪熙帝)になった父・朱高熾に朱高煦と朱高燧を会わせます。二人はなぜ永楽帝の崩御を隠していたのかと、洪熙帝に詰め寄りました。洪熙帝は国葬がおわったらゆっくりと・・と話をはぐらかします。そして力を合わせようと言うのですが、漢王・朱高煦と趙王・朱高燧にはその言葉は届きません。

さらに朱高煦と朱高燧は自分たちの息のかかった兵たちが地方へ飛ばされてしまい、軍を動かすことができなくなっていました。

そこで朱高煦は皇太子妃になった胡善祥を呼び出して脅迫、通夜に皇帝の寝殿にある都の公印を盗め命令しました。しかたなく協力を約束する胡善祥。

一方、孫若微は朱高熾から永楽帝の遺詔(いしょう)に「靖難の遺児を許す」と書き加えてもいいと言われ遺言を改ざんその場を胡善祥に見られてしまいます。

胡善祥はまんまと印を盗むのに成功しました。

 

第34話 翻された反旗

永楽帝の葬儀が始まりました。

葬儀の場で漢王・朱高煦は洪熙(こうき)帝・朱高熾が読み上げた先帝の遺詔は偽物だ。と言い放ちます。さらに趙王・朱高燧は皇太子の側室は靖難の遺児だと暴露。

朱瞻基は遺詔は本物なのは楊士奇が証明できると反論しますが、朱高燧は遺言を破り捨てて意味深な言葉を残して去っていきました。

その夜。朱瞻基が漢王府と趙王府に攻め込みましたが二人はすでに北京を出ていました。

洪熙帝は朱高煦たちと戦にならないよう手を尽くすが、高煦と高燧は若いにいは応ぜず、皇甫雲和(こうほうんわ)とともに檄文を作り謀反の準備を始めていました。

皇太子になった朱瞻基もまた父・洪熙帝の手ぬるいやり方に納得できず苛立っていました。

朱高煦はまず済南を攻撃することにしました。そして楊士奇のもとに済南が陥落したとの報告が届きます。このまま江南7省が攻められた危ないと焦る楊士奇。

そのころ。皇太子妃・胡善祥が懐妊したことがわかりました。 洪熙帝は生まれてくること共に「祁鈺」と名付けました。

 

第35話 君主の道

胡善祥の懐妊を知った朱瞻基は嬉しそう。

しかし危機的な状況は変わりません。朱瞻基は朱高煦たちがマフムードと結託して攻めてくると洪熙帝に伝えました。朱瞻基は反乱を起こした朱高煦と朱高燧を武力で抑えようと考えていましたが洪熙帝は認めません。

その夜、朱瞻基は洪熙帝に呼び出され南京に行くように言われます。

そして楊士奇は朱高煦のもとに送られました。しかし楊士奇を受け取った朱高煦たちも困ってしまいました。楊士奇を真っ先に殺してしまっては決起の大義名分がなくなってしまうからです。

南京に行った朱瞻基は書庫に案内され永楽帝時代の記録を読めと言われます。朱高煦たちと戦うことができない朱瞻基はふてくされますが、一緒に来た孫若微になだめられます。

そうしている間に洪熙帝は危篤に陥ってしまいます。それでも洪熙帝は朱瞻基に戻ってくるな言いたいことがあれば文を遅れと命令しました。

その知らせを受けた朱瞻基は永楽帝時代の記録を読みながら学びを深め自分が思い上がっていたことを知ります。そして父宛てに文を書きました。

その文を受け取った洪熙帝は息子の改心を知って、永眠しました。

翌年。

皇帝(宣徳帝)になった朱瞻基は朱高煦が率いる反乱軍と対峙します。

 

感想と解説

朱瞻基のお父さん・朱高熾がとうとう亡くなりました。いい人だったのに惜しい。息子があんまり頭よくなさそう(失礼)だからもう少し生きていてほしかったなあ。

それにしても

洪熙帝の時代短すぎ!

確かに在位期間は短いですけどね。9ヶ月くらいしかなかったから。でもずっと寝たきりだったわけじゃなくて、政治は行っていたんですよ。

・洪熙帝・朱高熾の詳しい説明はこちら。

このドラマでは洪熙帝が即位した直後に漢王・朱高煦が反乱を起こしていますが。実際は宣徳帝・朱瞻基が即位した後に反乱を起こしてます。流石に兄に逆らう気はなかったみたい。

甥から皇帝の座を奪うのは永楽帝もやってることだしね。血筋は争えないってことだよね。

さて即位していきなり反乱軍と戦うことになった宣徳帝・朱瞻基はどうするのでしょうか。

ところで朱祁鈺が胡善祥の子ってことになってるけど。

史実では胡善祥って一生息子がいなかったはず!

息子がないのを理由に宣徳帝が胡善祥を廃后にしたはず。

だから「女医明医伝」のようになってるわけで・・・寺にいた尼さんが胡善祥ね
(女医~もいろいろ問題の多いドラマだったけど)

このドラマではなぜ胡善祥が廃されるんだろ?

だいぶん歴史が変わってますね。

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