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「べっぴんさん」坂東さくらのモデル坂野(岡崎)光子

べっぴんさん

連続テレビ小説「べっぴんさん」ヒロインの娘・坂東さくらのモデルとなったのが、岡崎光子(坂東光子)です。

ファミリア創始者坂野惇子と通夫の長女として生まれました。

外国留学の経験があり。そのとき知ったスヌーピーはやがてファミリアのヒット商品につながります。

岡崎光子はどんな人だったのか紹介します。

 

目次

 岡崎 光子

 

名前:岡崎 光子(おかざき てるこ)
旧姓:坂野

生年:昭和17年(1942年)10月13日
没年:昭和32年(1957年)
生誕地:兵庫県神戸市

父:坂野通夫
  ファミリア社長
母:坂野惇子
  ファミリア創業者 

 

ファミリア創業者・坂野惇子の長女として生まれました。
太平洋戦争中の生まれです。

自宅が被災すると、母・惇子に連れらえて岡山の惇子の姉の疎開先で暮らします。

昭和37年(1962年)。ファミリアは大阪の見本市に出展しました。そのとき隣のブースになったのがアメリカ・ゼネラルフーズ社です。通夫と惇子はゼネラルフーズ社のブースにいたミセス・ハッチャー氏と知り合いました。ハッチャー氏の日本観光の案内を惇子と娘の光子がするほどの仲になりました。

これがきっかけとなり、坂野光子はアメリカのハッチャー氏の家にホームステイすることになりました。

昭和38年から1年7か月の間、光子はアメリカ留学をします。

留学中に当時アメリカで人気のあったマンガ「ピーナッツ」に夢中になります。ピーナッツとは主人公のチャーリー・ブラウンとその仲間たちの物語です。とくにチャーリーの飼い犬スヌーピーは大変な人気でした。

光子は日本にピーナッツの本を持ち帰ります。自分の持ち物にスヌーピーの刺繍を入れるほどスヌーピーがお気に入りでした。

光子は「スヌーピーは日本で流行るの間違いない」と言いましたが。通夫と惇子は聞き流していました。やがて通夫たちもでも光子の影響でスヌーピーのファンになっていきました。ついに通夫と惇子はスヌーピーの版権をとることに成功します。

昭和45年(1970年)4月。ファミリアはスヌーピーのぬいぐるみを販売開始します。スヌーピーグッズは大ヒットします。日本ではスヌーピーは大人気になりました。「マンガの”ピーナッツ”は知らないけどスヌーピーは知ってる」という人は多いと思います。日本ではスヌーピーがマンガの主人公だと思ってる人も多いと思います。ででも”ピーナッツ”の中では主人公チャーリー・ブラウンが飼ってる犬なんです。

その後、他社もスヌーピーグッズを発売するようになったので日本では主人公チャーー・ブラウン以上にスヌーピーが人気になってしまいました。

スヌーピーブームの元を作ったのはファミリアなんですね。ということは日本にスヌーピーが広まるきっかけを作ったのが光子といえますね。

昭和42年(1967年)。光子は三和銀行に勤めていた岡崎晴彦と結婚します。
岡崎晴彦は神戸銀行の頭取をつとめた岡崎忠の長男です。
結婚式には三笠宮殿下も来るなど盛大に行われました。

坂野家は六甲山に別荘を持っていました。坂野家の別荘の向かいには岡崎家の別荘がありました。夏になると両家はこの家で暮らしました。光子と晴彦は幼馴染でした。

晴彦は三和銀行から東京計器製作所を経てファミリアに入社します。

岡崎光子は晴彦との間に2男1女を出産しました。

長男・忠彦はのちにファミリアの社長となり。次男・雅は坂野姓を継ぎます。
坂野道夫・惇子夫妻には息子がいません。一人娘の光子も岡崎家に嫁いで坂野家の名前を継ぐ人はいなくなりました。そこで次男の雅が坂野家を受け継いだんですね。雅の名は坂野夫妻が尊敬する阪急百貨店社長・清水雅からもらってます。

 

岡崎晴彦のエピソード

 

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