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「べっぴんさん」女中頭 佐藤喜世(宮田圭子)のモデルはいるの?

べっぴんさん

連続テレビ小説「べっぴんさん」坂東家の女中頭・佐藤喜世、女中たちを仕切るひとなのです。

佐藤喜世は坂東すみれがキアリスを立ち上げた後もすみれに付き従います。
すみれにはなくてはならない人なんですね。

そこまですみれに尽くす佐藤喜世にはモデルはいたのでしょうか?
気になったので坂東家のモデルになった佐々木家の女中について調べてみました。

 

目次

 佐藤家のお手伝いさん

 

「べっぴんさん」では坂東五十八のモデルになった佐々木八十八は会社経営で成功した富豪でした。だから家には女中がいました。

他の資産家にも女中はいましたが、佐々木家はほかの家とは違ってたようです。
八十八は人をみかけや職業で差別してはいけないという考えの持ち主でした。女中だけじゃなく、出入りの業者にも丁寧な対応をしました。

当時の富豪には雇ってる人や家に出入りする職人を見下す人がいました。でも八十八はそんな人にも身内同様に接したということです。

だから靴職人の元田蓮もお世話になった佐々木八十八の娘・坂野惇子のために店先を貸したんですね。

当時の佐々木家の女中は世間から「お手伝いさんが家の娘のように羽織を着ている」といわれたといいます。振袖を着たお手伝いさんが惇子と一緒に出掛けることもあったようです。これでは惇子を知らない人が見たら、だれが家の娘なのかわかりませんよね。

 

坂野家のお手伝いさん・宮本さかえ

昭和15年。惇子は坂野通夫と結婚して神戸で暮らし始めました。
惇子たちの新居にもお手伝いさんがいました。
宮本さかえという人です。さかえが佐々木家から来たのか、坂野家から来たのか、現地で雇ったのかわかりません。

さかえはずっと惇子と行動を共にして惇子を支えました。

戦時中に通夫がジャカルタに派遣されたときも、さかえは惇子と共にいました。神戸の家が空襲で焼けて、岡山に疎開したときもさかえは惇子についていきました。

戦後。惇子が神戸に戻り通夫と共に粗末な家で暮らしたときもさかえは一緒にいました。

惇子を支えてきたという点で、宮本さかえはドラマの佐藤喜世と同じ役目をしてるといえますね。

惇子がベビーショップをひらいたときは惇子は営業や仕入れなどの外回りの担当になりました。そんなときも坂野家のお手伝いさんは惇子の力になりました。

惇子の育った佐々木家や坂野家には何人かのお手伝いさんがいたことでしょう。そんな人たちを代表する存在なのが。ドラマの佐藤喜世にまとめられているんですね。

 

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