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「べっぴんさん」田中紀夫の父・田中五郎のモデルは誰?

連続テレビ小説「べっぴんさん」ヒロイン坂東すみれの夫となる田中紀夫には国会議員の父がいます。田中紀夫の父・田中五郎は貴族院議員。

田中紀夫のモデルは坂野通夫です。ということは坂野通夫の父・坂野兼通が田中五郎のモデルかと思いますよね。でも、そう単純じゃないみたいなんですよ。

田中五郎がどんな人物で、モデルになったのはどんな人なのか考えてみてみましょう。

目次

田中紀夫の父・田中五郎はどんな人

「べっぴんさん」の設定では田中五郎は貴族院議員。坂東家とも古くから付き合いがあります。田中五郎とすみれの父・坂東五十八は将来お互いの子供を結婚させようと話し合っていました。その時点では紀夫の結婚相手がゆりなのかすみれなのかまでは決まってなかったかもしれません。

五郎は商船会社も経営しています。田中紀夫は大学を卒業後、五郎の経営する商船会社(大阪商船がモデル)に就職していました。後に紀夫はすみれと結婚して佐々木営業部に入社します。

坂野兼通 坂野通夫の父親は銀行界の大物

坂野兼通(ばんの かねみち)
生年:文久3年(1863年)
没年:昭和6年(1931年)

「べっぴんさん」田中紀夫のモデルとなった坂野通夫の父です。

尾張藩の藩士の家系で、大学卒業後は三菱合資銀行部(三菱銀行をへて三菱東京UFJ銀行)に入ります。三菱では支店長を歴任しました。

経営があぶなくなっていた山口銀行(大阪山口財閥の銀行です。山口県にある山口銀行とは関係ありません)から要請され、総理事になります。兼通は山口銀行を立て直し発展させます。山口財閥の理事となりグループ会社の日本生命、日本海上火災保険、毎日新聞などの役員を務めました。

大阪の経済を救う

関東大震災が起きて金融業界が混乱したときは、貸し渋りをせず主に中小企業に対して貸し出しを行いました。多くの中小企業が救われたということです。大阪の商工業界にとっては恩人のような人でした。

兼通の手腕を佐々木八十八は高く評価していました。坂野家と佐々木家はとくに付き合いがあったわけではないようです。娘の惇子と坂野通夫が知り合ったのも偶然からでした。二人は恋愛結婚しますが、このような優れた人物の息子だったことも八十八が二人の結婚を認めた理由なのでしょう。

神戸に移り住む富豪たち

明治後半ごろから大阪の街が開発されるにつれて、まだ開発の進んでおらず環境のよい神戸に移り住んだり、神戸に別荘を持つ富豪が出始めました。

佐々木八十八も神戸に別荘を所有し環境のいい神戸で子供を育てました。

明治38年(1905年)、坂野兼通は大阪から神戸に移り住みます。
二人の富豪の子供たちが近い場所で暮らすことになりました。それが後に坂野通夫と佐々木惇子が出会うきっかけになったんですね。

金融業界で活躍した父の影響で坂野家からは三菱銀行や三和銀行の役員となる人物を出しています。長男の信夫も三菱銀行を取締役になりました。

ファミリアができたときも、通夫の縁で三菱銀行と三和銀行がメーンバンクを引き受けてくれました。

長男・信夫が七男・通夫の親代わり

7男・通夫が生まれたときは兼通は56歳でした。
通夫が中学生の時に兼通は亡くなります。69歳でした。
その後は長男・信夫が通夫を育てました。通夫が惇子と結婚したときは信夫が親代わりだったわけです。

戦後の苦しい時代でも通夫は兄弟に援助を求めようとしませんでした。妹(通夫にとっては姉)から通夫の生活の苦しさを聞くと、信夫は実家の蔵を整理して出てきた家具を通夫の家に運び込んでしまいました。

通夫の妻・惇子がファミリアを立ち上げたときは、信夫が取締役をしている三菱銀行がメーンバンクを引き受けました。

少年期に父親を亡くした通夫にとっては信夫が親のような存在でした。

坂野兼通と田中五郎との共通点は?

普通に考えたら坂野兼通が田中五郎のモデルになりそうですが。父ということ以外共通点がありません。時期的にも父親代わりなのは通夫の長兄・信夫になりますから、親という以外は田中五郎との共通性はありません。

田中市兵衛 大阪財界を席巻した企業家

田中市兵衛(たなか いちべえ)
生年:天保9年(1838年)
没年:明治43年(1910年)

田中家は江戸時代より続く大坂の豪商でした。家業は肥料を扱う商人でしたが、市兵衛はそれだけにとどまりませんでした。

銀行を作り多くの企業の設立に参加

第四十二国立銀行を開設(三和銀行を経て現在は三菱東京UFJ銀行)。この第四十二国立銀行をもとにして多くの企業の設立に関わりました。主な企業だけでも日本生命、日本火災、日本綿花(双日株式会社)、日本紡績(ユニチカ株式会社)、汽車製造(川崎重工業株式会社)などがあります。

また、阪堺鉄道(南海鉄道)、摂津電気鉄道(阪神電鉄)の設立にかかわります。

五代友厚らとともに関西の経済を発展

五代友厚らとともに関西貿易会社を設立。その後、五代の発案した桟橋会社を作るため、鴻池、住友、藤田らと共に神戸桟橋会社の設立。市兵衛が社長になります。また、五代友厚らとともに関西の経済界を発展させるため、大阪株式取引所(大阪証券取引所)、大阪商法会議所(大阪商工会議所)、大阪商業講習所(大阪市立大学)などを設立にかかわりました。

商船会社の基礎を作る

広瀬宰平らの設立した大阪商船(商船三井)の監査役となりのちに社長となります。市兵衛の社長在任期間は短く、後継者として娘婿の中橋徳五郎に引き継ぎました。

田中市兵衛と田中五郎との共通点は?

大阪・神戸の経済の発展に尽くした田中市兵衛は様々な業績を上げています。
田中五郎のモデルというには違い過ぎる部分が多いですね。年齢も五郎よりもひとつ上の世代になります。

坂野家とはとくに付き合いはないようですが、坂野兼通は日本生命など市兵衛の作った会社の役員になってるので全く関係がないともいいきれませんね。

坂野通夫が入社する大阪商船の基礎を作った人物ということで名前を挙げてみました。名字も田中ですしね(よくある名字ですが)。

中橋徳五郎 大阪商船の社長・衆議院議員も務める

名前:中橋 徳五郎(なかばし とくごろう)
生年:文久元年(1861年)
没年:昭和9年(1934年)

徳五郎は田中市兵衛の娘婿にあたります。農商務省の役人でした。

坂野通夫が入社した商船会社の社長

岳父(妻の父)市兵衛の求めで大阪商船の社長になりました。台湾航路などを開拓し大阪商船を発展させた後、大正3年(1914年)に社長の座を後身にゆずります。

徳五郎はそのあと日本窒素、宇治川電気の重役を務めました。さらに渋沢栄一らとともに日清汽船を設立して取締役になります。

国会議員になって大臣を歴任

経営者だけにあきたらず、大阪市議会議員を務めたあと衆議院議員を務めました。文部大臣、将校大臣、内務大臣を務めるなど政界でも存在感を持っていました。

中橋徳五郎と田中五郎の共通点は?

大阪商船は田中紀夫のモデルとなった坂野通夫が大学卒業後入社した会社です。

徳五郎は国会議員を勤めました。商船会社の社長をしたこともあります。田中五郎と共通点がありますね。名前も徳五郎ですし。

佐々木家との付き合いはありませんが、キャラクター設定の参考にしたことは考えられます。

まとめ

こうしてみると田中五郎はだれか一人の人物がモデルになったとはいえないようですね。

坂野兼通:通夫(紀夫)の父親という血筋
坂野信夫:結婚時点での父親代わり
田中市兵衛:通夫の勤務先の基礎を作った人。名字
中橋徳五郎:通夫の勤務先の経営者、国会議員、名前

田中五郎は様々な人物からエッセンスを取り出して作ったオリジナルなキャラクターではないでしょうか。本当のところは制作者に聞いてみないとわかりませんが。予想するのも楽しいものです。

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