朝ドラ「わろてんか」で濱田岳演じる、てんの幼なじみ・武井風太のモデルになったのは吉本せいの弟・林正之助。
どらまではてんの従兄になってる武井風太は藤岡屋の使用人という設定です。幼い頃からてんと一緒に育てられ、仲の良い兄のような存在。でもなぜかてんからは弟扱いをうけています。てんのためなら命がけの愛すべきキャラ武井風太のモデルになった林正之助とはどんな人なのでしょうか。
林正之助とは
正之助は吉本興業を作った林せい(吉本せい)の弟。12人兄弟の三男です。小さい頃は喧嘩っ早い悪ガキでした。でも姉のせいには頭があがりません。赤ん坊のころからせいに面倒をみてもらい母親のような存在だったからだとも言われてます。
正之助は呉服屋に奉公に出ていましたが、呉服屋をやめて暇を持て余していたところ。みかねたせいから話があり。吉本興業に入社しました。このとき正之助は18歳でした。
姉の指導のもとで仕事を覚えていった正之助は、いつしか吉本興業の憎まれ役をひきうけることになっていました。
あえて憎まれ役をひきうける
というのも当時は落語の地位が高く、他の芸能は低く見られていた時代。大坂の芸能の中心は落語でした。でも落語は世の中の動きについていけず衰退していました。そんな中でも落語家はプライドが捨てきれません。とはいいってもいつまでも落語を中心に経営していたのでは吉本もつぶれてしまいます。
正之助は萬歳(漫才)が新しい世の中の人気になると信じました。若い時代に遊び歩いた吉本泰三と違い、正之助は落語のことは全くわかりません。でも、だからこそ芸にうとい庶民にも受ける新しいものがわかったのかもしれません。
吉本興業の興業にも萬歳を取り入れていきます。萬歳とは、今でいう漫才です。しかし落語家たちは、自分たちの仕事が奪われると思い気に入りません。かといって吉本泰三やせいが表立って萬歳をひいきにしたら落語家たちはやめてしまいます。正之助が萬歳の出番を増やし強引に進める形で吉本の興業が行われました。強引な正之助はときどきせいに怒られます。そんなせいの姿をみて落語家たちは「さすが、わかってはる」と不満をやわらげます。
でも、裏ではせいと正之助は意気投合していたのです。芸のわからん正之助がかってなことをしよるけど、せいや泰三は落語家の味方。と思わせておいて、落ちぶれていく落語の出番を減らし新しい芸能を増やしていったのでした。
正之助はあえて憎まれ厄をひきうけることで新しい時代の芸能を吉本にとりこみ、事業を拡大していきました。
漫才を芸能の中心にした男
正之助は萬歳大会をひらいて大成功させます。エンタツ・アチャコらの登場で萬歳が「漫才」へと生まれ変わりますます人気になりました。
1948年には、せいのあとを受け継いで吉本興業の社長となります。一部の寄席を映画館にするなど、事業拡大も進めました。戦前の吉本興業は芸能の世界では松竹や東宝にならぶような一大勢力になったのでした。
強引すぎるやりかたから問題も起こした正之助ですが。吉本興業を日本を代表する企業にそだてたのでした。
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