朝ドラ「虎に翼」では猪爪寅子が「うちのパパとうちのママが喧嘩して~」という面白い歌を披露しました。
この歌は「モン・パパ」という歌。ドラマオリジナルではなくて実在する歌です。
もとはフランスの映画で使われていた歌で戦前の日本にも伝わりました。
宝塚歌劇や戦前に榎本健一・仁村定一が歌っていました。
この記事では実在する「モン・パパ」の歌はどういうものだったのか、歌の意味も紹介します。
フランス生まれの「セ・プール・モン・パパ」
「モン・パパ」は日本で生まれた歌ではなくて。もとはフランスの歌です。
最初に歌ったのは フランスの男性シャンソン歌手で俳優の ジョルジュ・ミルトン(Georges Milton)。
タイトルは「セ・プール・モン・パパ(C’est pour mom Papa:私のパパのために)
」
この歌は1930年公開の映画「巴里っ子(Le roi des Resquilleurs:タダ見の王様)」の劇中で使われました。
この映画はスポーツのタダ見(無銭観戦)をしているブーブルという男が、ルルという女性と恋仲になり。デートでラグビー観戦に行ったところ。選手席に座ってしまい、そのまま選手として出場して人気者になってしまう。そしてブーブルはルルと結婚。という映画。
ジョルジュ・ミルトンがブーブルを演じて人気になりました。
映画の中でジョルジュ演じるブーブルが「セ・プール・モン・パパ」を歌って人々の拍手喝采を受ける場面があります。
あらすじを見てもわかるようにコメディ映画です。面白おかしい歌として歌われています。
日本に上陸、歌劇で歌われる
日本で「セ・プール・モン・パパ」に注目したのは宝塚歌劇団です。
宝塚歌劇団はレビュー「ローズ・パリ」で「セ・プール・モン・パパ」を披露。その時のタイトルが「モン・パパ」でした。
「ローズ・パリ」はパリを舞台にした男女の恋愛を描いた作品。ストーリーは「巴里っ子=タダ見の王様」とは関係ありません。
歌だけを使っているようです。
このときの日本版の歌詞は
モン・パパ 宝塚歌劇版 うちのパパとうちのママと並んだとき うちのパパとうちのママと話すとき うちのパパもっさり服 呉服屋の品物いつもママ 古い時計いつもパパ パパの大きなものはひとつ |
歌詞はレビューの内容とも関係ありません。
直訳ではなく、フランス版のセ・プール・モン・パパと大まかな意味は同じ。表現を日本向けにアレンジしています。
宝塚の「ローズ・パリ」はヒット。日本でフランス映画「巴里っ子」がヒットしたこともあって「モン・パパ」は日本でも知られるようになりました。
レコード会社も参戦・エノケンで大ヒット
すると「モン・パパ」の人気の目をつけたのがレコード会社です。
昭和7年(1932年)。ビクターレコードからエノケンこと榎本健一と仁村定一のデュエットで発表。
当時の歌詞は
モン・パパ 榎本健一・仁村定一版 うちのパパとうちのママと並んだとき うちのパパとうちのママと喧嘩して うちのパパ毎晩遅い 暴れて怒鳴るはいつもママ でたらめ言うそれはパパ パパの身体は揺れる揺れるクルクルクルと回される。 |
宝塚版よりもやや過激めのアレンジのようですね。
榎本健一・仁村定一版の「モン・パパ」は大ヒット。
宝塚版よりも売れました。
エノケンは全国区の人気スターですからね。
朝ドラ「虎と翼」で寅子が歌っていたのは榎本健一・仁村定一バージョンのようです。
戦前の日本でなぜモン・パパが人気になったの?
内容は子供が母と父の夫婦喧嘩を見て強い母と弱い父を比較、弱い父を茶化すような内容の歌です。
男性優位の時代になぜこのような内容の歌がウケるの?と思うかもしれません。
でも
男性優位の時代だから強い女性の歌がウケるのです。
本当に女性が強い世の中ならこういう歌はウケません。当たり前ですし、逆に強い者が弱いものを虐める嫌な奴に思えてしまいますからね。
戦前の日本では強い男性の地位は揺るがない。だから男たちは少女が歌っていても安心して笑って見ていられるし、エノケンだって芸として披露できるのです。
娯楽の世界では世の中の不満がよくネタになります。女性の地位が低い時代にはかえってこういう「強い女」「弱い男」のネタがウケるのですね。
日本はもちろん。第二次世界大戦前のフランスだって男性優位社会。
もし現代の日本でこの歌がウケたとしたら?
そういう社会だということです。
三淵嘉子も歌った「モン・パパ」
史実でも三淵嘉子は「モン・パパ」をよく歌ったといいます。
市川四郎は「パパの一番大きなものは靴下の破れ穴」と回想してるので嘉子が歌ったのは宝塚版だったようです。
家庭局のメンバーは庁舎の最上階にある事務所で七輪を使ってスルメなどの干物を焼き食べていました。ときには市川がどこからかウイスキーを仕入れてくることもあったといいます。
そんなとき、嘉子が歌を歌ったことがありました。三淵嘉子がよく歌っていのは「モン・パパ」か「りんごの歌」「コロッケの歌」。
市川も嘉子の歌をよく聞いていました。この歌は子供が弱いお父さんを茶化すような内容ですが。市川の感想では嘉子の歌を聞くとお父さんに哀愁が感じられてまぶたの裏が熱くなったといいます。
このころには嘉子の母も父もこの世にいません。
三淵嘉子はしっかりものの母と世間ではエリート銀行員だけど家では優しい父。思い出になってしまった両親を思い出しながら歌っていたのかもしれませんし。悲しみを振り払うためあえてコミカルな歌を歌っていたのかもしれません。
ドラマの中の「モン・パパ」
劇中では虎子は「モン・パパ」を何度か披露しています。
学生時代。兄の結婚式で歌いました。このときは余興として歌っています。寅子としてはあまり歌いたくないようですが。聞いている男性はコミカルな歌の内容通り余興として楽しんでいるようです。それに対して大人しくかしこまっている女性たち。それを見て寅子は納得いかない気持ちがこみ上げてきます。
その後も何度か歌いました。この歌は腹が立つ場面・悔しい場面で歌う曲になっていきました。
そして司法試験に合格。祝賀会で披露しました。このときは明らかに悔しさや怒りを込めて歌っています。寅子は女性の地位の低さ、それを当たり前と思っている男たちに怒っています。
歌詞の内容からすると正反対のように思えるかもしれません。でも戦前にこの歌が流行った理由でも紹介したように。この歌がバカウケするのは男優位社会だから。
その後は歌う機会はありませんでした。とくに両親の死後は披露する機会もありません。
でも家庭裁判所が設立。家庭裁判所を世に広める広報も成功。
その後、皆で祝う場面でこの歌を披露しました。
このときは怒りでは歌っていません。「なんで私が歌わないといけないの」みたいな気持ちはあるかもしれませんが。戦前に歌っていたときのような怒りはないようです。
憲法や法律が代わり、少なくとも法律上は男女平等になったし女性が戦える武器も手にした。これから良くなるはず。そんな達成感や期待感もあって、以前ほどの怒りはなくなったのかもしれません。
同じ歌ですが違う場面・心境で歌っているようですね。
参考文献
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