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小野但馬守政次は井伊家の家老なのになぜ裏切り者になったのですか?

直虎

大河ドラマ「おんな城主直虎」で、井伊家の家老をしている小野但馬守政次。

歴史上は井伊家を裏切り領地を乗っ取った悪人として語られることが多いです。その一方で、「おんな城主直虎」のように井伊家に忠義を尽くす人物だったと主張する人もいます。

いったいどちらが本当なのでしょうか?

小野政次は今川家と繋がってるイメージで語られますが、なぜ小野政次は今川家の味方をしたのでしょうか?

時代劇の家老のイメージと戦国時代の家老はかなり違うんです。

戦国時代のお家事情を探ってみましょう。

 

目次

小野但馬守政次についてわかってること

もともと小野但馬守(おのたじまのかみ)は資料の少ない人物です。ドラマではかなり脚色されているのでご注意ください。

小野但馬守の名前も”政次”と”道好”のふたつがあってはっきりしていません。ドラマでは政次を採用しています。そのくらいよくわからない人物なんです。

小野但馬守のことが書かれている数少ない資料の一つが「井伊家伝記」。ほかは数点の手紙にしかその名前は出てきません。その資料からわかることはこんなことです。

・小野和泉守の息子である。
・但馬守には二人の息子がいる。
・井伊直親が徳川家康・織田信長に内通していることを今川氏真に報告した。

井伊谷徳政令で井伊家と今川家がモメている間はこのようなことをしています。

・今川家臣・匂坂直興から次郎法師が徳政令を出さない場合は小野但馬守が徳政令を出すように指示を受けている。
・今川氏真の命令で兵を率いて駿府に来た。
・徳政令の件では匂坂直興とともに談合していた。
・永禄11年。次郎法師は井伊谷の地頭を解任され、小野但馬守が城代になった。次郎法師、虎松は龍潭寺に移った。

この時の様子については井伊家伝記では「小野但馬、心のままに計らい押領。祐椿尼公、次郎法師、井伊谷城内に御座成され候こと成り難き故、龍潭寺中の松岳院と申す小庵にお引越し住庵成され候」と書いてます。

つまり、小野但馬守が井伊谷を治めることになったので次郎法師たちは井伊谷城に居られなくなった。次郎法師と次郎法師の母は龍潭寺にある小さな庵に避難した。ということです。

小野但馬守に対して否定的に書いてます。井伊家としてはよほど許せない気持ちだったのでしょう。

但馬守は代官として井伊谷を治めることになります。その直後、武田信玄が駿河に攻めてきました。但馬守は今川氏真の命令で兵を率いて武田軍と戦いますが敗退して井伊谷に戻ってきます。遠江には徳川家康が攻めてきました。そのときに但馬守がとった行動はこのようになってます。

・徳川家康が遠江に攻めてきたので井伊谷城を捨てて敗走した。
・山中に潜伏していたが井伊谷三人衆に捕まった。
・井伊直親を陥れた罪で4月4日処刑された。
・5月には二人の息子も処刑された。

このような内容から小野但馬守は井伊家当主を通さずに今川家の命令を直接受け取る立場にいたと考えられます。目付けのような役目ですね。「小野但馬守は家老だった」といわれるのはこのためです。父・小野和泉守も同じような役目をしていたので代々家老をしていたと考えられます。

 

井伊家伝記とは何?

井伊家伝記は江戸時代に作られた書物です。井伊家が自分たちの記録を残すために龍潭寺に命令して作らせました。

龍潭寺の人々は南渓和尚たちが残した記録をもとに一冊の本にまとめました。それが「井伊家伝記」です。

大河ドラマで直虎が小野政次を刺すときに「悪人だと語り継いでやるわ」という内容のセリフを言っていました。

井伊家が語り継いだ内容とは井伊家伝記を意味してるのです。

 

井伊家伝記は信用できるの?

「井伊家伝記」は井伊家にとって都合のいいように書かれた書物だから信用できないという研究者もいます。

江戸時代に書かれたものですから今川派はどうしても悪く書かれてしまいます。逆に徳川家康に味方しようとした井伊直親はいい人に描かれます。

今川家に味方していた者の宿命です。

もし小野和泉守・但馬守親子が、今川家を欺いて井伊家のために尽くしたのなら。あえて悪く書く必要はありません。今川から守ろうとした忠臣として讃えられるはずです。

井伊家伝記が書かれた時代には和泉守の息子で但馬守の弟だった小野玄蕃の子孫も生きていました。玄蕃の息子・亥之助は直政に仕えた従兄弟です。亥之助は直政にとって忠臣といえます。忠臣ならあえて悪く書く根拠がよくわからないんですね。

だから、井伊一族、少なくとも直政・直親・直満たちにとっては小野和泉守・但馬守親子は都合の悪い存在だったと考えるのが妥当でしょう。

反今川派の井伊直満親子とその支持者が親今川派の井伊直盛・和泉守・但馬守から井伊家の主導権を奪ったというストーリも作ろうと思えば出来ます。でも、そうなると次郎法師と但馬守が対立したり、次郎法師や祐椿尼(直盛の妻)が直親の子をかばう理由がわかりません。矛盾が増えてしまいます。

しかも小野但馬守と今川家の重臣との間にかわされた手紙が残っています。但馬守が今川家と通じていたのは間違いありません。

井伊家伝記で小野但馬守が悪く書かれているのは不当に貶められたからだ。とはいえないんですね。

どうして小野和泉守政次は裏切ったのですか?

一般的には小野但馬守は「井伊家伝記」に書かれていることをもとして語られることが多いです。井伊家伝記では小野但馬守は井伊直親が徳川家康(松平元信)に内通していることを密告したり、井伊谷を横領した人物として出てきます。

というわけで、お家乗っ取りを企む人物というイメージができました。

井伊直親が徳川家康に内通していたのは井伊家の記録でも認めていることです。内通がばれたら処刑されるのは仕方ありません。

大河ドラマでは井伊直親が会った松平元信は偽物でした。今川の策略になってますが、実際には本当に内通していたようです。家康としては三河国一揆で忙しい時期でしたから、本気で井伊家を助けるつもりはなかったかもしれません。今川家を揺さぶるための調略の一つとしておこなったのでしょう。この時期、家康は遠江の他の領主に対しても調略を行なっていたようです。

直親の父・直満も内通していたとされ処刑されました。でも直満のときは内通していた記録は見つかってません。小野和泉守のでっちあげの可能性が高いです。直満は濡れ衣だったかもしれませんが、直親は本当に内通していました。

小野但馬守としては今川家の命令に忠実に働いただけかもしれません。でも家の主が今川家とは縁を切りたいと思ってるのに、わざわざ家臣がばらしてしまうのは許せないことのように思えますよね。

井伊家内部では今川よりの勢力と今川に反発する勢力がありました。小野和泉守・但馬守親子は一貫して今川よりの立場で動いてます。但馬守としては直親の今川家への裏切りが許せない。あるいは自分の立場を守るためには密告しなければいけない。という思いがあったのかもしれません。

小野家はもともと井伊家の家臣じゃない

「小野家は井伊家の家老なのに裏切るなんておかしい」って思いますよね。でも、時代劇の家老のイメージで考えると間違った判断をしてしまいます。

小野家はもともと井伊家の家臣ではありません。井伊直平の時代。小野兵庫助が井伊家に仕えるようになりました。兵庫助は小野但馬守の祖父といわれます。父・小野和泉守のかつての名前だったという説もあります。

いずれにしても平安時代末期から続く歴史のある井伊家の中ではかなり新しい家臣でした。他の奥山、中野ら井伊一族に比べると「井伊家が大事」と考えることは少ないかもしれません。もっと高く買ってくれるところがあれば、そちらにつくというのは戦国時代ではよくあることです。

戦国時代の家臣は忠義心が低い

現代人は「武士の家では家臣は主君に忠義を貫くもの」というイメージがあります。でもそれは時代劇の影響で作られた間違ったイメージなんです。

江戸時代には「忠義」が注目されました。でも忠義が広まったのは江戸時代になってから。江戸幕府が大名や武士をコントロールするために儒教を広めた影響です。

戦国時代は一族同士でも闘いをする時代でした。損得勘定で人が動く時代だったのです。血のつながっていない家臣はなおさら信用できません。戦国時代で忠義を貫くのは個人的に恩があって信頼関係があるとか、先祖からずっと仕えているとか一部の人だけなんですね。

小野家は今川家から送り込まれた監視役?

小野家が井伊家に仕えるきっかけはよく分かっていません。

小野家は名門

流れ者だった小野兵庫助を井伊直平が召し抱えたといわれます。小野家は小野妹子や小野篁、小野小町などがいる名門の末裔だといわれます。地方の領主が名家の血筋をありがたがって採用した可能性はありますね。

交渉役?監視役?

直平の時代、井伊家は今川家に服従することになりました。
そこで「名門の小野家の人物を採用して今川家との交渉役にしよう」と直平が考えたと主張する人もいます。

いやそうではなく
「今川家から送り込まれた目付け(監視役)だった」と主張する人もいます。

大名は服従させた領主を見張るため家臣を送り込むことがありました。小野家もそうした井伊家を見張る監視役だったのかもしれません。

直平の意志で小野家を採用したのか、今川家から押し付けられたのかは分かりません。でも、小野和泉守・但馬守親子が「今川家に従うべき」と考えて働いていたのは間違いありません。それが井伊家を残すためのか、自分のためなのかは分かりません。

 

やっぱり自分が大事?

もしかすると「裏切り者」も「今川から井伊谷を守る盾」も極端すぎる考えなのかもしれません。

とっても恐い今川家と弱小井伊家に挟まれて仕事をすることになったら?
井伊家には途中から雇われただけ。義理立てする理由はないとしたら?
上司は誰でもいいから、せっかく手に入れた領地や地位を守りたいと考えていたら?

あなたならどうしますか?

戦国時代は人々が損得勘定で動いていた時代。

その時代の空気を理解しないとわからないのかもしれません。

今となっては小野但馬守が何を考えていたのか誰にも分かりません。もしかすると理由は単純かもしれませんよ。

 

大河ドラマ「おんな城主直虎」の小野政次が悲劇的な設定になってしまった理由についてはこちらで考察しています。

おんな城主直虎の小野政次が悲劇的な人物になってしまったわけ

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