大河ドラマ「おんな城主直虎」で柳楽優弥演じる龍雲丸。盗賊団・龍雲党の頭です。
直虎と親しい仲になる龍雲丸。井伊谷と関わった龍雲丸たちは、さまざまな問題を起こしたり解決したりするのですが。やがて歴史上の悲劇の場所。堀川城と関わることになります。
龍雲丸とはいったいどんな人物なんでしょうか。モデルはいたのでしょうか?龍雲党がひきいる盗賊集団・龍雲党と井伊家とのかかわりについてお話します。
龍雲丸とは
気賀を拠点に活動する盗賊団・龍雲党の頭です。実在しない架空の人物です。
もともとは武士の家系でした。戦で落城して両親を失いました。盗賊団に拾われましたが、その盗賊団も捕まり一人になりました。放浪生活をしている間に孤児をひきとり流れ者をまとめるようになります。何者からも束縛されるのを嫌い、自由に生きることを望んでいます。武家を領地を奪い民から搾取する大泥棒だと考えています。貧しいものからは盗まず、武家から物を盗み返す。というのをポリシーにしています。
龍雲党とは
浜名湖の東にある気賀の下町にアジトを作り、気賀を中心に活動している盗賊です。物を盗んだり、博打を開いたりして生計をたてています。メンバーの多くは流れ者や孤児たちです。もと船乗り、鉱山で働いていたもの、木こりなど龍雲党に来る前の職業は様々です。専門的な技術を持った者たちが自分の特技を生かして仕事をすることもあります。
直虎との関係は
直虎との出会いは井伊谷の水飲み場で偶然会ったこと。その後、何度か会って直虎に強い印象を残します。
井伊谷や近藤の領地から勝手に木を伐採して一度は捕まりますが、牢から逃げ出します。気賀に来た直虎を捕まえたことで再開します。
直虎は井伊谷で木材を伐採して商売をはじようとしましたが人手不足に悩みます。そこで直虎は龍雲党の人々に木々を伐採させることにしました。しかし、領民から苦情が出たり近藤から寺の仏像を盗んだと疑いをかけられます。領民の誤解はとけ、近藤との問題も解決します。直虎は龍雲丸を男として意識するようになりました。龍雲党を家臣にしようとしますが束縛されるのを嫌う龍雲丸たちは井伊谷を出ていってしまいます。
堀川城と龍雲丸
その後、今川家が気賀に城を作ることになりました。最初は反対していた龍雲丸。気賀を出て行くといいますが、戻ってきて自分たちの城作りをしようと考え出します。龍雲丸たちにとっては捕まらないための自分たちの城。それが堀川城なのです。
気賀を井伊家がおさめることになり、龍雲丸たちの協力で城が作られることになりました。完成した城は堀川城と名付けられ、城代は瀬戸方久が任命されます。直虎のもとで龍雲丸たちの城ができあがりました。
歴史上の堀川城は永禄11年(1568年)ごろ。今川家に従う地元の領主・尾藤主膳為義、竹田高正、山村修理、新田友作らによって作られました。
城主は新田友作が任命されました。友作は祝田出身で寺子屋を経営していたとも、気賀の領主だったともいわれます。城主といえば聞こえはいいですが、一揆軍の大将にまつりあげられたにすぎません。
永禄12年(1569年)。新田友作らは地元の農民1700人あまりとともに城に立てこもり徳川軍と戦います。堀川一揆とよばれる戦いです。勝ったのは徳川家康。たてこもった武士や農民たちに大勢の犠牲者が出ました。
新田友作は戦いが不利と思うと他の物に降伏を進めました。しかし徹底抗戦を主張する他の武将たちに反対されました。実の危険を感じた友作は逃亡しました。その後は出家して方休喜斎あるいは新田喜斎と名乗っていましたが、捕らえられて処刑されました。方休喜斎は瀬戸方久の別名では無いかという説もあります。
尾藤主膳は堀江城の大沢元胤に救援を求めに行きましたが大沢は降伏したため尾藤は自害しました。山村修理は逃亡しましたが自害しました。立てこもった人々の多くが処刑されました。
堀川城の悲劇として後世に伝わっています。
堀川城に立てこもった人々が龍雲党
ドラマでは新田友作たちは出てきません。城作りに参加したところなどは龍雲丸に似ていますね。友作たちも地元の人々を城に入れて抵抗しました。でも龍雲丸のモデルは特定の誰かというわけではなく、堀川城に立てこもって抵抗した人々の象徴なのでしょうね。
ドラマでも堀川城はいずれ徳川家康に攻められることになるでしょう。犠牲者の中に龍雲丸たちが入ることになるのでしょうか。気になりますね。
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