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ブギウギ:秋山美月のモデル 秋月恵美子

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秋山美月は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物です。

演じるのは女優の 伊原 六花さん。

秋山美月はUSK梅丸少女歌劇団の男役。

ヒロイン花田鈴子より後に入団した男役スターです。

ドラマのUSKのモデルになったのはOSK日本歌劇団(当時は大阪松竹少女歌劇団)。

ということは当時の大阪松竹少女歌劇団に秋山美月のモデルになった人がいるのでしょうか?
いました。男役スターで名前もよく似た 秋月恵美子 がモデルのようです。

ドラマ「ブギウギ」の秋山美月とモデルになった秋月恵美子について紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」の秋山美月とは

名前:秋山美月(あきやま みつき)

花田鈴子たち三人組の後輩。
梅丸のライバル劇団。花咲歌劇団(モデルは宝塚歌劇団)から移籍してきました。
人気も実力もある人物でタップダンスが得意。あまり笑顔を見せることがなく、梅丸の先輩たちとも衝突することが多いのですが。理想が高くたとえ先輩でも妥協しない芯の強さがあります。

橘たちが退団後は梅丸少女歌劇団を代表する男役スターになります。

後に東京の梅丸からスカウトされ、福来スズ子と一緒に東京で活動することになります。

 

演じるのは 伊原六花さん

伊原 六花(いはら りっか)

秋山美月を演じるのは女優の伊原 六花 さん。

大阪府狭山市出身。1999年生まれ。

出演作は
連続テレビ小説「なつぞら」森田桃代

映画「明治東京恋伽」「リゾートバイト」
など。

センチュリー21の初代イメージガール。

秋山美月のモデル 秋月恵美子 

秋山美月のモデルは 秋月恵美子 (あきづき えみこ) で間違いないでしょう。

本名:金子三枝子
大阪府出身。

1930年。松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)に入団。

桃色争議

1933年(昭和8年)。東京の松竹で水の江瀧子たちが労使争議を起こしました。世間の注目を集める事件に発展。世間では「桃色争議」と呼ばれました。

大阪の松竹楽劇部の劇団員も会社に待遇改善を要求。飛鳥明子を中心に団員が結束。舞台に出ずにサ高野山に立て籠もりました。その中に三笠静子(笠置シズ子)や美鈴あさ子(アーサー美鈴)、秋月美恵子もいました。

労働争議が終わり待遇は改善されましたが飛鳥明子たち主力劇団員が退団。松竹歌劇部は大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に改名しました。

飛鳥退団後の松竹を支える

飛鳥たちが抜けたあとのOSSKを支えたのが笠置シズ子、アーサー美鈴、柏ハルエ、秋月恵美子 たちです。

松竹は東京にも劇団を持っていました。秋月恵美子や笠置シズ子たち大阪のOSSKの劇団員も何度か東京に応援に行っています。

笠置シズ子や秋月恵美子は東京組にはない個性をもっていて東京でも存在感は抜群でした。東京にも水の江瀧子のような少女歌劇のスターはいましたが。歌とダンスでは大阪組の方が評価が高く、特に笠置シズ子と秋月恵美子の存在感は飛び抜けていました。

秋月恵美子は評論家から「東京組出演者が百人束になってもたちまち跳ね飛ばされるほどの芸を身に着けている」と高い評価を得ていました。

秋月恵美子のダンスは当時の日本人女性を超えたレベルの高いもので、男性タップ教師の稲葉実も絶賛していました。

そんな彼女たちに東京の松竹の幹部は注目します。

東京の松竹楽劇団(SGD)に参加

今も昔も少女歌劇では宝塚が一番人気です。松竹は少女歌劇では松竹に負けるため、より大人向けの劇団の設立を決定。

松竹少女歌劇団が宝塚歌劇団に対抗するものなら。
松竹楽劇団は日劇ダンシングチームに対抗するものといえそうです。

1937年(昭和12年)。男女混成で歌と踊りを中心に上演する松竹楽劇団(SGD)を東京に設立しました。大阪からは笠置シズ子が松竹歌劇団(SGD)に移籍。秋月恵美子は所属はOSSKのままでSGDの舞台に上がる事になりました。

4月に行われたSGDの第一回公演では秋月は見事なタップダンスのソロを披露しました。

SGDの旗揚げ公演が成功した後。SGD専属になった笠置シズ子を残して、秋月恵美子たち大阪組はOSSKに戻りました。

男役トップスターになる

OSSKに戻った秋月恵美子は男役トップスターとして活躍。娘役の芦原千津子とのコンビは「ゴールデンコンビ」と言われで大人気でした。

1943年(昭和18年)。OSSKは大阪松竹歌劇団(OSK)に改名。

太平洋戦争中も公演を続けましたが、終戦間際には空襲を逃れて奈良に疎開。苦しい時代を行きぬきやがて復帰します。

戦後もOSKの中心女優になって活躍しました。

海外公演では座長になって公演を成功させました。

1950年代には松竹のミュージカル映画でも活躍します。

1973年(昭和48年)引退。

その後は1994年(平成6年)までOSK日本歌劇学校の講師を務めました。

2002年(平成14年)死去。享年85歳。

 

男役スターの秋月恵美子は娘役スターの芦原千津子とともに戦前・戦中・戦後のOSK大阪松竹歌劇団を支えた人物でした。

 

参考文献

 

 

 

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