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ブギウギ:芸能記者・鮫島鳥夫とは?ドラマのモデルになった笠置シズ子とのエピソード紹介

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鮫島鳥夫は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。

ヒロインのスズ子たちを追い回す芸能記者です。

演じるのはみのすけ さん。

鮫島鳥夫のモデルはとくに決まった人物はいないようですが。芸能人を付け回すマスコミ関係者はいつの時代にもいるものです。

ドラマ「ブギウギ」の鮫島鳥夫と笠置シヅ子を悩ますマスコミについて紹介します。

 

目次

ドラマ「ブギウギ」の鮫島鳥夫とは

名前:鮫島鳥夫(さめじま とりお)
演:みのすけ

三流ゴシップ雑誌「真相婦人」の芸能記者。

スズ子たちの劇場や楽屋に出没。勝手に写真を取ったり、ねちっこく付け回します。

 

演:みのすけ
連続テレビ小説初出演

 

笠置シヅ子も苦労したマスコミ関係者

ドラマの元ネタになった出来事や、現実のマスコミの報道で笠置シヅ子が苦労した出来事を紹介します。

カルメンの妊娠

戦時中、笠置シヅ子は吉本興業の御曹司・吉本頴右(よしもと えいすけ)と付き合っていました。そして戦後。笠置シヅ子は頴右の子を身ごもりました。

当然。二人の関係をマスコミは嗅ぎつけます。

シヅ子は妊娠したまま舞台の「ジャズカルメン」に出演。すると雑誌には「腹ボテカルメン」と書かれ。新聞には「カルメン妊娠す」と書かれました。ドラマでは三流ゴシップ雑誌になっていますが、当時は大手マスコミも質が悪く品のない表現が多かったのです。

ドラマでも鮫島鳥夫が芸能雑誌にスズ子が妊娠したことを書いています。現場でのやりとりがどうだったかはわかりませんが。芸能記者が付け回して記事にしていたのは確かです。

鮫島鳥夫は「三流ゴシップ雑誌」の記者という設定で鮫島だけが怪しげな行動をしてるように描かれますが。実際にはこういう人は大勢いて有名人のゴシップネタはどこでも記事になります。

吉本御曹司との許されない恋

笠置シヅ子と吉本頴右は当時も話題になったようです。後々まで「ブギの女王と吉本御曹司の揺れされない恋」と話題になりました。

頴右の母・吉本せいは、最初は二人の結婚を嫌がっていたようですが。シヅ子の妊娠後はさすがに態度を和らげ、結婚を認めるような雰囲気になっていたと言います。でもマスコミ報道では最後までせいが頑なに結婚に反対しているように描かれました。

当時のマスコミにとってはよいネタだったのでしょう。

ドラマの村山とみ はスズ子が妊娠しても結婚を反対していました。当時のマスコミ報道の雰囲気を出すとこういう演出になるのかもしれません。

吉本せいの葬式に出席

吉本せいの告別式には笠置シヅ子は娘のヱイ子とともに葬儀に出席。大勢のマスコミが見守る前で墓前に手を合わせています。

吉本せいは芸能界の超大物ですからただでさえ注目が集まります。そのせい母子と関係のある笠置シヅ子も訪れたとあっては、マスコミ関係の注目を集めるのも当然かも知れません。

 

取材がきっかけでラクチョウの姐さんと会う?

ドラマ「ブギウギ」では鮫島の取材を受けたスズ子の発言がもとでラクチョウの姐さんことおミネたちとの出会いが起こります。

鮫島は当時「夜の女」「パンパンガール」とよばれた娼婦たちに差別的な発言をしています。彼女たちは戦争で家族を失い仕方なく夜の女になった被害者なですが。世間は彼女たちに冷たく。彼女たちに偏見を持つ人は多くいました。劇中の鮫島の意見は当時としては珍しくありません。

おミネたちは雑誌に載ったスズ子の発言を芸能人の綺麗事だと思いスズ子に反発。でもやがてお互いに認めあっておミネたちがスズ子のファンになるという。少年漫画のようなノリで話がすすむようです。

現実にも笠置シヅ子はラクチョウの姐さんたちと交流がありました。でもドラマのような経緯ではありません。

現実には取材を受ける前からラクチョウの姐さんたちは愛する人を失い子育てをしながら働いている笠置シヅ子に共感。彼女のファンになっていました。笠置シヅ子が取材を受けて「彼女たちが会いたがっている」と聞いたのでシヅ子とラクチョウの姐さんたちの交流が始まります。

詳しくはこちらの記事を見てください。

ブギウギ:おミネのモデルは ラクチョウのお米姐さん

 

淡谷のり子が笠置シヅ子を批判

東京ブギウギやその後のブギが大ヒット後。

マスメディア上で淡谷のり子が何度か笠置シヅ子を批判したことがあります。

淡谷のり子は週刊誌などのインタビューで「最近、急に人気が湧き日本一になったもつりでいるようだが。未だに苦しそう。」「日本人の誤ったジャズ観があのひとを台無しにしている」「不自然な発声法、オーバーすぎるゼスチャア、不必要に怒鳴り立てる大きな声」のせいで「どうにも聞いてられない」などと批判しました。

笠置シヅ子の発声法は服部良一の指導であえて地声を出すように訓練されているのですが。それには服部良一の考え方があったからです。学校で音楽を習った淡谷のり子からすると独学で本能的な笠置シヅ子の歌い方は気に入らなかったようです。

そんな淡谷のり子の批判に服部良一は笠置シヅ子を庇うコメントを発表。

淡谷のり子 vs 服部良一・笠置シヅ子 のバトルになったことがあります。

これがも間にマスコミが入っているからこういうやり取りが起きたのでした。

淡谷のり子は戦後も「芸能界のご意見場」としてテレビや雑誌で厳しい意見を言ってましたが、戦前から一緒にやっている笠置シヅ子に対しても遠慮がありません。

笠置シヅ子が歌手を引退、女優業に専念したとき。ある人物から「笠置さんはズルイ。目先を利かせてうまいこと乗り換えたわね」と皮肉を言われたと証言してます。

でも同じ人物から「すっかりお母さん女優が板についたわね。案外やるじゃないの」とも褒められたとも証言しています。その人物とは淡谷のり子のようです。

淡谷のり子と笠置シヅ子は晩年になっても交流がありました。淡谷のり子は笠置シヅ子が嫌いだったからではなく。彼女なりにシヅ子のことを心配しての言葉のように思えます。

淡谷のり子は嫌いなものは嫌いとはっきり言います。笠置シヅ子も個性の強い人物です。いきちがいもあったでしょう。

でも「仕方ないな」と思う部分もありつつもお互いに好きな事を言い合える仲だったのかもしれません。

 

笠置シヅ子と美空ひばりの対立を煽るマスコミ

美空ひばりは11歳で歌手デビュー。服部良一作品を笠置シヅ子そっくりに歌う「ベビー笠置」と言われ人気になりました。

やがて美空ひばり側は映画「舞台は廻る」の挿入歌「ヘイヘイブギー」を歌いたいと笠置・服部側に問い合わせしました。服部はヘイヘイブギーは出たばかりのヘイヘイブギーは無理だが東京ブギウギならかまわないと許可を出しました。ところが美空ひばりの母とマネージャーの福島は「笠置からブギを歌うな」と嫌がらせを受けた、そのため美空ひばりが舞台で失敗して涙したと新聞記者に話し。世間に広まりました。

その後、美空ひばりのアメリカ公演では服部作品を歌うのは禁止になりました。このときは興行主側の事情なのですが。美空ひばりの母とマネージャーの福島は笠置と服部の嫌がらせと記者に語りました。

経緯はこちら
ブギウギ:山下達夫のモデルは笠置シヅ子のマネージャー 山内

新聞やその他のマスコミも美空側の言い分をそのままにあるいは誇張して伝えました。

このように全盛期を過ぎたアラフォーの笠置シヅ子と若くて人気の出た美空ひばりを比較、対立を煽って儲ける記者やマスコミがいました。

中にはあからさまに美空ひばり側に取り入って儲ける人達も出ます。

芸能ジャーナリストの旗一兵はかつては笠置シヅ子にインタビューして様々な記事を書きました。美空ひばりが売れるとひばりに乗り換えてひばりを称賛する記事を書きました。それだけなら芸能記者の仕事で済まされます。

ところが旗一兵はひばりのマネージャー・福島と手を組み、新芸術プロダクション(美空ひばりの事務所)の制作部長におさまってしまいます。

ルポライターの竹中労は美空ひばりの伝記を書きました。竹中は本の中で徹底的に笠置シヅ子を意地の悪い人物と描きます。ルポとは名ばかり。美空ひばりファンが書いた小説みたいなものです。でも竹中労の本は人々に美空ひばりと笠置シヅ子の対立を強く印象付け。笠置シヅ子はすっかり悪者にされてしまいました。

芸能人を追い回すマスコミを一人にまとめたのが鮫島

芸能人を付け回すマスコミは当たり前のように存在します。人気者になればなるほど付け回す人は出てきます。そしてあること無いことをを書いて広めます。「火のない所に煙を立たせる」のもマスコミの仕事。それが彼らの儲ける手段なのは今も昔も変わりません。

ドラマでスズ子を付け回すのは鮫島鳥夫という記者です。鮫島鳥夫のモデルは特定の誰かというのではなく。人気芸能人を付け回す「マスコミそのものを擬人化したもの」と考えればいいと思います。

 

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