MENU

ブギウギ:大熊熊五郎のモデル 白井松次郎 は 松竹 の創業者

bugiugi1

大熊熊五郎(大熊社長) は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。

演じるのは升毅さん。

ドラマのUSK(梅丸少女歌劇団)は「梅丸」という大企業の子会社。
その梅丸の社長が大熊熊五郎です。

梅丸のモデルになったのは松竹。
大熊熊五郎は松竹の創業者のひとり、白井松次郎がモデルのようですね。

ドラマ「ブギウギ」の大熊熊五郎とモデルになった白井松次郎について紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」の大熊熊五郎 とは

名前:大熊熊五郎(おおくま くまごろう)

梅丸の社長。
梅丸は歌舞伎・映画など演劇を行う日本でもトップクラスの会社。

梅丸は梅丸少女歌劇団(USK)の親会社なので、USKの経営にも大熊社長が関わっています。

芸事が大好きで、お金にはシビアな経営者。

演じるのは升毅さん

升毅(ます たけし)
東京都出身。1955年生まれ

多数のドラマ・映画に出演。

主な出演作。
NHK朝の連続ドラマ小説
 「よーいドン」ジミー・ササキ
 「いちばん太鼓」
 「都の風」山岡
 「ええにょぼ」
 「ぴあの」橋口
 「風のハルカ」神崎一二三
 「あさが来た」今井忠興(白岡あさ・眉山はつの父)

大河ドラマ
 「元禄繚乱」荻原重秀
 「龍馬伝」阿部正弘
 「軍師官兵衛」石川源吾

ほか。

大熊熊五郎 のモデル 白井松次郎

大熊熊五郎のモデルは松竹の創業者のひとり 白井松次郎(しらい まつじろう) と考えて良さそうです。

芸能に興味を持ち興行を目指す

白井松次郎は京都府出身。1877年(明治10年)生まれ。

双子の弟に大谷竹次郎(おおたに たけじろう、後の東京松竹の社長)がいます。仲のいい兄弟でした。子供のころから歌舞伎を見て育ち、芸能の世界に興味を持ちます。

松次郎兄弟の父・大谷栄吉は京都で相撲の興行師をしていました。母方の祖父が祇園座の売店の権利をもっていたので一家でその手伝いをしていました。でも売店の仕事だけでは満足できず、竹次郎兄弟も演劇を自分で興行したいと思うようになります。

興業家になり

1895年(明治28年)。父の栄吉が京都新京極阪井座の共同出資者になりました。このあたりから松次郎兄弟は演劇興行に参加。

1897年(明治30年)。劇場で仲売りをしていた白井亀吉の婿養子になり白井姓をな名のります。その後、京都の新京極にある大黒座を買い取りました。その後も芝居の興行を成功させ、京都の芝居小屋を次々と買収。松次郎兄弟は京都で大きな勢力になります。

1902年(明治43年)。松次郎は弟の竹次郎とともに大阪に松竹(まつたけ)合名会社を設立。会社名の「松竹」は兄弟の名前から付けました。

その後、東京の新富座を買収して東京に進出。関西を松次郎が関東を竹次郎が担当するようになります。

興行界の近代化

松次郎・竹次郎兄弟は演劇の世界で江戸時代から続く昔ながらの慣習を辞めて、近代的な興行のしくみを取り入れました。それまでの演劇の世界は資金の流れが不透明だったり、ヤクザが絡んでいたり、一部の大物役者のもとに大金が集まりって弟子に配分されるしくみになっていたりしていました。そうしたやり方だと演劇の興行が不安定になりがちですし、犯罪にも巻き込まれやすく、役者の地位も不安定でした。

松次郎兄弟はそれを止めて会社が役者に賃金を支払うしくみを採用、興行の様々な改革を行いました。

日本でも大手の興行主になる

その後、松次郎兄弟は東京の歌舞伎座の経営権を獲得。以後、歌舞伎は松竹のもとで興行が行われます。

このころ大阪の人情浄瑠璃が衰退、経営の危機にあったので松次郎は文楽座の経営を援助しました。

1920年(大正9年)。松次郎兄弟は「松竹キネマ」を設立。映画界にも進出しました。

1923年(大正12年)。千日土地建物の社長になり。千日前楽天地の開発を行います。
上方歌舞伎を行う大阪歌舞伎座、大阪松竹少女歌劇団の本拠地 大阪劇場を作り、歌舞伎や演劇の興行に力を入れました。

その一方で、1930年(昭和5年)には脱税事件を起こし刑務所入りすることもありました。

1937年(昭和12年)。竹次郎の松竹興業株式会社、松竹キネマと合併。大阪と東京の松竹関連会社がひとつになり「松竹(しょうちく)株式会社」が誕生しました。松次郎は会長、竹次郎が社長になりました。

会社名の「松竹」の呼び方は合併前は「まつたけ」、合併後は「しょうちく」です。

戦後も関西の演芸の復興・発展に尽力

戦後は演劇の復興を積極的に行い。四つ橋文楽座、道頓堀浪花座など関西の劇場を次々と復興。上方落語や文楽を支援しました。

1951年(昭和26年)。死去。享年75歳。

白井松次郎、大谷竹次郎兄弟は京都の興行師から出発して日本を代表する大興行主になりました。現在でも松竹は東宝・東映と並ぶ日本三大映画会社のひとつになっています。

白井松次郎は新しい演劇や映画を発展させるだけでなく歌舞伎や落語、文楽なども保護、復興させました。また芸能界の不透明で古いしきたりを壊して近代的な興行システムを採用。演劇界の発展と近代化に貢献しています。

大熊熊五郎 は松次郎・竹次郎兄弟?

ドラマ「ブギウギ」の大熊熊五郎は歌舞伎や映画を手がける興行会社「梅丸」の社長という設定です。

「梅丸」のモデルが「松竹」なのは間違いないですね。

白井松次郎には双子の弟の大谷竹次郎がいます。松次郎は主に関西、竹次郎は関東の興行を担当。兄弟で力をあわせて経営を行いました。

大熊の苗字は「大谷」がモデルのようですし。大熊熊五郎は白井松次郎・大谷竹次郎をひとりにしたような人物なのかもしれません。

 

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次