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ブギウギ:おミネのモデルは ラクチョウのお米姐さん

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夜の女・おミネは NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。

演じるのは田中麗奈さん。

「ラクチョウのおミネ」と呼ばれ有楽町界隈の夜の女を取り仕切る人物。

福来スズ子とも交流することになります。

おミネのモデルになったのは「ラクチョウのお米姐さん」と呼ばれる人物。

ドラマ「ブギウギ」の おミネと、モデルになったお米姐さんを紹介します。

 

目次

ドラマ「ブギウギ」のおミネとは

名前:おミネ
演:田中麗奈(たなか れな)

有楽町界隈を仕切っている夜の女。
ガード下の夜の世界で生きる女たちのリーダー格。
通称「ラクチョウのおミネ」。
ある雑誌記事を見てスズ子の楽屋にやって来ます。

おミネを演じるのは田中麗奈さん

おミネを演じるのは女優の田中麗奈(たなか れな)さん

福岡県久留米市出身。1980年生まれ。

サントリーの「なっちゃん」のCMで大人気に。
その後、多くの映画に出演。

海外での活動のほか、2005年以降はテレビドラマにも出演しています。

大河ドラマ
「平清盛」由良御前
「花燃ゆ」毛利安子

連続テレビ小説
初出演

おミネのモデル・ラクチョウのお米姐さん

夜の女たち

日中戦争から太平洋戦争では多くの人が亡くなりました。親や夫、子供が亡くなった人は多くいます。それでも生きていかなければいけません。夫や親を失った女性の中には娼婦となって生きていくしかない人もいました。世間では彼女たちを「夜の女」「闇の女」と呼びました。

「夜の女」「闇の女」は有楽町や上野などのガード下に多くいたといいます。彼女たちの得意客がGHQの進駐軍ということもあり、旧日本生命ビルにあるGHQ本部のまわりに多かったといいます。そんな彼女たちは世間から「パンパン」と呼ばれました。

東京の有楽町のまわりには夜の女と靴磨きの子どもたちが多かったといいます。

そこは笠置シズ子がよく出演していた劇場からも近い所にありました。

笠置シズ子は戦後。最愛の人・吉本頴右 を失いましたが。娘のヱイ子を出産。母親一人で育ててていました。ステージに立ちながら、その一方では赤ん坊に母乳を与え育てています。

そんな彼女を熱烈に応援したのが「夜の女」たちでした。

彼女たちは戦争で家族を失い生きるために夜の仕事をしていましたが。世間からは冷たい目で見られていました。彼女たちは夫を失い子供を育てながら歌手としても活躍する笠置シズ子に共感して熱烈に応援したのでした。

ラクチョウの姐さん・佐藤米子

そんな夜の女たちのリーダーがラクチョウのお米姐さんと呼ばれる女性です。

本名は 佐藤米子。

「ラクチョウのお米」とも「ラクチョウの姐さん」とも呼ばれるお米は有楽町界隈の夜の女たちのリーダーでした。シヅ子は彼女たちを「あねご」と呼んでいたようです。

1948年(昭和23)年。「東京ブギウギ」を発表。その直後くらいからラクチョウのお米をリーダーに夜の女たちが笠置シズ子の熱狂的なファンになりました。

やがて笠置シズ子は夜の女たちが会いたがっていると知り、彼女たちに会いました。笠置シズ子はお米たちと会って意気投合し。その後、彼女たちとの交流が始まります。

笠置シズ子のファンクラブには一般の人だけでなく政界・財界・芸能人をはじめ様々な職業の人達がいましたが。とくに多かったのが夜の女と呼ばれる人たちでした。

シヅ子はその「あねご」たちを娘・ヱイ子の誕生パーティーに招待。その後も交流が続きます。

福利厚生施設の建設に協力

笠置シズ子は夜の女たちの厚生施設「白鳥会館」の設立にも協力しました。白鳥会館は彼女たちがタイプライターや洋裁を習い職業訓練したり親睦をはかるための施設です。

ラクチョウのお米は福利厚生施設の設立準備委員会の委員長もしていました。笠置シズ子はお米の相談にも乗っていました。

当時のスターの中には夜の女を軽蔑したり、夜の女の役を嫌がる人がいましたが。笠置シズ子は違いました。彼女たちに共感して、自分の芸を見て一緒に喜んでほしいと語っています。

笠置シズ子は苦労して成功しただけに一般の人に対しては傲慢さや驕り高ぶったところがなく、苦労している人に気づかいのできる人でした。

お米たちも日劇に通い笠置シズ子を応援していました。

渡米前の歓送公演

1950年(昭和25年)。笠置シズ子と服部良一はアメリカ公演を計画。
5月。日劇で笠置シズ子の歓送特別公演が行われました。この公演ではファン約3千人がおしかけ、大変な騒ぎになりました。

そのときお米たちと仲間は日劇の最前列に近い1階の半分近い約800席を買い占め、大勢で応援に来ていました。お米たちは「ラクチョウ夜咲く花一同より」と書いた大弾幕を張りシズ子を応援。大きな花束をシヅ子に渡しました。シヅ子も一人ひとりにお礼をいいながら握手をして回りました。

お米との別れ

1952年(昭和27年)のGHQ撤退で夜の女は減少。新しい職業に就いたり、結婚したりしました。しかし病気でなくなる人もいました。

ラクチョウお米こと佐藤米子は肺結核を発病。危篤に陥りました。

シズ子が知って駆けつけたすでに米子は口がきけなくなっていました。米子の枕元で「なんでもっとはよう知らせてくれなんだんや」と涙を流したといいます。しかしシズ子は二度と米子と話すことはできませんでした。

 

参考書籍

ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど (潮文庫)

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笠置シヅ子 その言葉と人生

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