NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場する 安倍晴明(あべのはるあきら)は陰陽寮の陰陽師。
演じるのはユースケ・サンタマリア さん。
安倍晴明といえば小説や映画でおなじみ。呪術を使って悪霊や怪事件を解決する陰陽師として知られますが。「光る君へ」に登場する安倍晴明はそんな超能力をもつ人物ではなく。平安時代に生きる役人として描かれます。
ドラマ「光る君へ」の安倍晴明(あべのはるあきら)を紹介します。
ドラマ「光る君へ」の 安倍晴明(あべのはるあきら)とは
名前:安倍晴明(あべのはるあきら)
陰陽師。陰陽寮に所属する天文博士。
人並外れた占いの才能を持ち、常人にはない力を持っていると信じられている人物。
陰陽道が人々の生活に影響を与えていた時代。
天皇や貴族の生活だけでなく、朝廷の権力争いにも影響をあたえることに。
演じるのはユースケ・サンタマリアさん
ちやは を演じるのは俳優・歌手・司会のユースケ・サンタマリアさん。
大分県出身。1971年生まれ。
本名:中山 裕介(なかやま ゆうすけ)
ロックバンド・BINGO BONGOのボーカル&MCでデビュー。
司会で人気が出て、その後多くのドラマ・映画に出演しています。
NHK大河ドラマ
「麒麟がくる」 朝倉義景
安倍晴明(あべのはるあきら)とは
現代では安倍晴明(あべのせいめい)と呼ばれることが多いですが。晴明が生きていた時代の名前は訓読みが基本。名前を音読みで呼ぶのは僧侶など俗世を離れた人だけ。個人の名前として「せいめい」と名乗ることはありません。
でも古い時代の人なので正式な読み方は不明。「はるあきら」以外にも「はれあきら」が考えられます。結局「正式な読み方がわからないときは音読みする」という歴史業界の習慣で「せいめい」で済ませてしまってることも多いです。
僧侶以外にも歌人など特定の分野で優れた業績を残した人、政治家、武将などは死後、親しみを込めて音読みで呼ぶこともあります。安倍晴明は死後に神格化されて信仰の世界で有名になったので現在では敬意をこめて「せいめい」と呼ばれます。
安倍晴明とは
信仰や小説や映画の影響で安倍晴明を化け物退治のスーパーマンのような人物と思っている人が多いですが。現実の安倍晴明は朝廷の陰陽寮という役所で働く役人=国家公務員です。
陰陽寮(おんみょうりょう)とは飛鳥時代から朝廷にある役所の一つ。天体観測・暦作り・吉凶判断が主な役目。平安時代になると「吉凶判断ができるならそれを防ぐこともできるだろう」という貴族のリクエストに応えて呪詛返しや呪術的な防御も担当するようになりました。
悪霊退治など攻撃的な呪術は主に密教の担当。陰陽寮の陰陽師は防御が主な役目。陰陽師が業務として悪霊退治をすることはあまりありません。でも晴明のように飛び抜けて優秀な陰陽師になると個人的には仕事を請け負うことはあったようです。
小説や映画と違って安倍晴明が活躍したのは40歳を過ぎてから。若いころは賀茂氏の全盛期。安倍家は落ちぶれた下級貴族。晴明は下積み時代が長いのです。
天禄2年(971年)。安倍晴明は「天文博士」になりました。天体観測をして星の動きから吉凶を判断する役所の所長です。
ドラマ「ひかる君へ」が始まるのは上貞2年(977)年。このころの晴明は陰陽寮で天文博士をしていました。このときの晴明はすでに56歳。
貞元2年(977年)に陰陽寮のトップだった賀茂保憲が死去。このころから晴明は様々な重要な儀式を任されるようになります。
寛和元年(985年)。66歳のときに陰陽寮を引退。息子の安倍吉昌が陰陽博士になりました。
蔵人所の陰陽師
安倍晴明は陰陽寮を引退後、賀茂光栄とともに「蔵人所(くろうどどころ)に候す陰陽師」になりました。
蔵人所とは天皇の秘書室。安倍晴明は天皇お抱えの陰陽師になったのです。位は従四位下。陰陽寮頭よりも地位は上です。
蔵人所に候す陰陽師になると陰陽寮の煩わしい業務からは解放され、天皇や上級貴族の個人的な依頼が主な仕事なります。このころ朝廷で力があったのは藤原兼家。道長の父親です。
安倍晴明は天皇や藤原家の信頼を得て彼らの依頼で様々な占い、お祓い、祭祀、様々な行事を行いました。
安倍晴明は当時から人気があったので貴族からの依頼も多かったようです。
寛和の変と安倍晴明
「大鏡」によると。
寛和2年(986年)。藤原兼家は花山天皇を退位させ外孫の懐仁親王を天皇にしようとしました。このころ花山天皇は最愛の人を無くして落ち込んでいました。そこで兼家は三男で花山天皇と親しい道兼に花山天皇を出家するようと説得させ。夜中の2時ごろに花山天皇を内裏から寺に連れ出して出家させてしまいます。
このとき天皇の一行が安倍晴明の屋敷の前を通った時、晴明が星の動きに異変があり帝が譲位するに違いない内裏に行って報告しようと言っているのが聞こえ。その後、目に見えぬ者が屋敷の扉を開けて天皇がここを通り過ぎたと報告するのが聞えた。書かれています。
花山天皇の譲位は藤原兼家親子しか知らないはずです。でも晴明は花山天皇の退位を知りました。
このころ蔵人所の所長は藤原道兼でした。藤原氏と晴明の間につながりがあってもおかしくはありません。
晴明が本当に占いで知ったのか、それとも道兼から退位させる話を聞いていたのかはわかりません。
一条天皇の信頼を得る
花山天皇の譲位後。一条天皇が即位。藤原兼家とその息子たちが朝廷の権力を握りました。
安倍晴明も引き続き一条天皇専属の陰陽氏として仕えました。一条天皇やその家族、摂関家の依頼も引き受けました。
藤原道長が病気になったときには安倍晴明が祈祷を行っています。
自宅で追儺
長保3年(1001年)一条天皇の生母・東三条院が崩御。喪の期間のため大晦日の追儺(ついな)の行事が中止になりました。
追儺は一年の間に溜まった厄を払う行事。節分の起源になります。疫病で苦しむ都の人々にとっては追儺が行われない。というのは不安でした。お祓いや祈祷が本当に効果があると信じられていた時代なので。朝廷が追儺をしないのは、今で言えば国が感染症対策をしないのと同じです。
安倍晴明も朝廷に仕える役人ですから、朝廷の決定を変えることはできません。そこで晴明は自宅で追儺を実行。「人々の祈りの声が都に響くようだった。」と道長のライバルの藤原実資に得意そうに話しています。
貴族社会でうまく立ち回って地位を築いた
安倍晴明は自己主張が強く自信家でした。天皇や藤原摂関家にうまく取り入り地位を高めました。その一方で道長のライバル・実資たちとも付き合い都で大きな支持を得ました。
晴明が優れた陰陽師だったのは確かです。でも安倍家は賀茂家や他の家に比べて陰陽師としての伝統や格式は劣ります。陰陽道の世界で無名だった安倍家を名門の賀茂家に並ぶ名家にするため、安倍晴明は皇族や政治家とも付き合い彼らとの関係を深めました。
伝統や格式が根強い世界では実力だけではトップになれません。安倍晴明は人間関係を築く力や宣伝力、自分をプロデュースする力も人並み外れた能力を持っていました。
大河ドラマ「光る君へ」ではヒーローとしての安倍晴明(あべのせいめい)ではなく。貴族社会を生き抜くしたたかな人物としての安倍晴明(あべのはるあきら)が登場します。かなり重要な役目を担当するようですが。どのような人物として描かれるのか楽しみですね。
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