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ブギウギ:羽鳥麻里・羽鳥善一の妻のモデルは?

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羽鳥麻里は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物です。

演じるのは市川実和子 さん。

ドラマの羽鳥麻里は作曲家・羽鳥善一の妻。

羽鳥善一のモデルは作曲家・服部良一とアナウンスされています。ということは羽鳥麻里のモデルは服部良一の妻・服部万里子になりますね。

ドラマ「ブギウギ」の羽鳥麻里とモデルになった服部万里子を紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」の羽鳥麻里とは

名前:羽鳥麻里(はとり まり)
演:市川実和子

コロンコロンレコード所属で梅丸楽劇団の指揮者も務める作曲家・羽鳥善一の妻。

一人息子のカツオと善一の三人で暮らしています。音楽的センスは抜群で芸術家タイプの善一を支える妻。賢い女性で、善一も音楽以外のことは妻に頼りっぱなし。たまに爆弾発言をすることも。

羽鳥家を訪れるスズ子とも仲良くなります。

 

演じるのは市川実和子さん

東京都出身。1976年生まれ。

主な出演作
映画「アナザヘヴン」「八日目の蝉」など。

連続テレビ小説初出演
NHKでの出演は「植物男子ベランダー」「ジャッジ~島の裁判官奮闘記」など。

モデルは服部万里子

羽鳥善一のモデルは作曲家・服部良一。

もちろん羽鳥麻里のモデルは服部良一の妻。

服部万里子になりますね。

富澤万里子は東京の神田で唐物問屋を営む富澤文蔵の娘。

服部良一のいきつけの待合茶屋で知り合いました。万里子はそこの女将の知り合いなのです。万里子は実家の家業が傾いたため銀行家の叔父の家に預けられていました。でも叔父が病死したので実家に戻っていたのです。

服部良一の一目惚れで結婚

東京に出て音楽活動をしていた良一は万里子に一目惚れしたといいます。でも店にいた万里子は良一の存在には気づいてなかったそうです。

でも良一は本気でした早速、万里子の母に「娘さんを幸せにするのでお嫁にください」と手紙を書きました。万里子も母も冗談としか思わず良一の手紙は放置されました

その後、良一はコロムビアレコードに移籍。アパートで一人暮らしをしていましたが、師匠のメッテル先生の助言もあり結婚することにしました。

良一は万里子の母に返事をくれないことを抗議。万里子の母は親戚が反対するからと断ろうとしましたが。結局、良一の勢いに負けて結婚を認めてしまいました。

昭和10年(1935年)。東京大神宮で二人は豪華な結婚式をあげました。そのために良一はニットーレコードから作曲ををもらったほか、コロムビア・レコードから契約料前払いししていました。

こうして強引ともいえる形で結婚した二人でしたが。実際に二人で会って話したことはほとんどなく。良一の話といえば音楽のことばかり。新婚当初はなかなか大変だったようです。

良一はコロムビアに移籍したとは言うものの、まだ若手で活躍もしていません。当時、良一は「響友会」という音楽仲間の会を作って無償で音楽教室をひらいていました。万里子は彼らの食事の世話をしたり、良一が弟子をとるようになると彼らの世話もしました。にぎやかで忙しい日々をおくっていました。

やがて昭和11年(1936年)長男・克久が誕生。良一はますます張り切り。
昭和12年(1937年)1月にはコロムビア移籍第一号の「霧の十字路」が発表。この曲はヒットとは言えませんが、若手社員からの評判はよく良一は手応えを。

そして同じ年に「別れのブルース」が発表。良一は人気作曲家へと成長します。

その後、万里子と良一の間には長女・初音、次女・梢、三女・早苗、次男・良次が産まれました。

5人の子供の母になった万里子は子育てをしながら、人気作曲家になった良一を支えました。

お金に無頓着な良一を支え苦労する

良一の家には音楽関係者や仕事で出会った人たちがよく来ます。万里子はそのたびに対応しなければいけません。

海外や地方で演奏会をすることも多く。よく家をあけました。太平洋戦争中は良一は上海にいましたが、そんなときでも万里子は子供の面倒をみながら東京の家で暮らしていました。戦争が激しくなると、空襲を避けるため子どもたちを連れて親戚のいる富山に疎開しました。

良一はホームパーティーが大好きで。大勢の人を読んではパーティーを開いていました。家に人が入らないので引っ越ししたこともあるほどです。

良一は引っ越しをよくしました。引っ越しする理由を「妻が引っ越し魔だから」と答えていますが、良一のホームパーティー好きもその理由でしょう。

良一は金には無頓着。稼いだ金も半分は使ってしまいます。万里子は残されたお金でやりくりして子どもたちを学校に行かせ、育てました。大作曲家の裏では妻・万里子の苦労と支えがありました。このとき万里子は貨車に家財を積んで移動したといいます。たいした行動力です。

戦後。「東京ブギウギ」「青い山脈」が大ヒット。服部良一の曲もますます人気になり。多忙になりました。良一は家のことはすべて万里子に任せています。多忙な良一が音楽活動に打ち込むことができたのも、万里子の働きがあったからでした。

息子の克久はフランスに留学。このときも息子の留学を決定、したのは万里子でした。フランス大使館に行って複雑な手続きをしたり、準備をしたのも万里子でした。

結婚25周年銀婚式・シルバーコンサート

昭和35年(1960年)服部良一と万里子の結婚25周年を祝い銀婚式とシルバーコンサートが開催されました。服部の仲間たちが企画してくれたものです。

この銀婚式とコンサートには5人の子どもたちも集まり。作曲家になった長男克久が曲を披露。

音楽会で活躍する著名人も良一の作曲した曲を歌ってコンサートを盛り上げました。その中には淡谷のり子や笠置シヅ子もいました。

第2部の途中では万里子と良一は舞台にあがり花束贈呈が行われ、人々の拍手を受けました。

良一は自伝には妻・万里子のことはあまり書いていません。でも良一が公的な場に現れるとき。万里子もそばにいました。

平成5年(1993年)。服部良一が亡くなりました。享年85。増上寺で行われた葬儀には多くの音楽関係者が出席、良一ゆかりの音楽が演奏され音楽葬が行われました。その最後、万里子は良一の位牌を持ち、克久が遺骨を抱いて増上寺を出ました。

その後、服部良一に国民栄誉賞が送られました。すでに本人はいません。授賞式には万里子が出席。宮沢総理から万里子に国民栄誉賞が手渡されました。

 

服部良一は世間では大作曲家でもお金に無頓着で家のことは万里子に頼りっきり。そんな万里子をモデルにしたのがドラマ「ブギウギ」の羽鳥麻里。ドラマではどのように描かれるのでしょうか。草彅剛さん演じる・羽鳥善一とどのようなやりとがあるのか楽しみですね。

 

参考文献

 

 

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