水城(みずき)アユミは NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。
演じるのは吉柳咲良 さん。
水城アユミのモデルは大スター・美空ひばりに江利チエミ、水谷八重子(2代目)の経歴やイメージを重ねたキャラのようです。
ドラマ「ブギウギ」の水城アユミとモデルになったかもしれない美空ひばり・江利チエミ・水谷八重子を紹介します。
ドラマ「ブギウギ」の水城アユミとは
名前:水城アユミ
演:吉柳咲良
大人気の若手歌手。
大和礼子と股野義男の娘。
というわけで生まれたのはシズ子が東京に行く前の昭和12年(1937)年ごろ。ドラマに登場するころには19歳くらいになっているはず。
マネージャーは父の股野義男。
福来スズ子に憧れ、スズ子の歌「ラッパと娘」が大好き。
年末のテレビ番組「オールスター男女歌合戦」でスズ子の「ラッパと娘」を歌いたいと父とともにスズ子にお願いするのですが。
演じるのは吉柳咲良(きりゅう さくら)さん
栃木県出身。2004年生まれ。
2016年。ホリプロタレントスカウトキャラバンで史上最年少の12歳でグランプリ。
舞台「ピーター・パン」で主役を務めました。
その後は様々な舞台、ドラマに出演しています。
朝ドラは初出演。
水城アユミのモデルは 美空ひばり?
美空ひばりを直接のモデルにしたかどうはわかりません。でも美空ひばりを意識したようなキャラクターのように思えます。
そして美空ひばりを意識しつつ、できるだけ美空ひばりとキャラが被らないように設定されているのですね。
美空ひばりは紹介しているサイトは多いのでここでの詳しい紹介は控え。笠置シヅ子との関わりの部分だけ紹介します。
天才少女出現
美空ひばり(本名:加藤和枝)は1937年(昭和12年)生まれ。
和枝(後のひばり)は8歳のころから父が作った「美空楽団」に所属。11歳のとき劇場で笠置シヅ子の「セコハン娘」を歌ったところ。横浜国際劇場の支配人・福島通人がひばりに目をつけました。当時から歌が上手かったのです。
笠置シヅ子のコピーとしてデビュー
福島通人は劇場を辞めるとひばりのマネージャーになり、ひばりの母・喜美枝とともに美空ひばりを笠置シヅ子のコピー歌手として売り出しました。
ひばりに「ベビー笠置」のニックネームを付けたのも福島通人です。
ひばりは楽団では笠置シヅ子の歌だけを歌っていたのではありません。でも福島通人たちは当時大人気だった笠置シヅ子の歌を歌わせればひばりも人気になると考えました。
天才少女・美空ひばりは「ベビー笠置」「豆笠置」とよばれ横浜では人気になりました。
1948年。12歳の美空ひばりは横浜国際劇場で笠置シヅ子と会っています。そのとき笠置シヅ子は自分の物真似をするひばりを暖かく見ていました。
ブギを歌うな事件
1949年。美空ひばり側は笠置シヅ子の新曲「ヘイヘイブギー」を歌いたいと申し入れ。服部良一は「ヘイヘイブギー」ではなく「東京ブギウギ」を許可しました(著作権は作った本人にあります)。
「ヘイヘイブギー」は映画「舞台は廻る」の挿入歌で発表されて間もないころだったので簡単には許可できない事情がありました。
その後。ひばりの母・喜美枝は「本番直前に「東京ブギウギ」に変えさせられ練習できなかったのでひばりは出だしを失敗した。ひばりは楽屋で悔し涙を流した」とマスコミに語りました。
ヘイヘイブギーよりも前に発表された東京ブギウギを練習する時間がなかったとは思えませんし、普通は著作権をクリアしてから本番で歌う曲を決めるものでしょう。
なにより新作は無理としても「東京ブギウギ」という大ヒット曲の使用許可が出ているのですから服部・笠置側としても最大限に心配りはしています。
でもマスコミは笠置シヅ子がひばりに嫌がらせをしていると報道します。
渡米問題
1950年(昭和25年)。服部良一と笠置シヅ子はアメリカ公演をすることになりました。
美空ひばり側がどこからかその話を聞きつけ、笠置シヅ子より1ヶ月早くアメリカ公演を計画します。
すると笠置シヅ子の公演を企画した興行主から服部良一のもとに「ひばりが一足早く来てブギを歌い。その後で笠置が同じ曲を歌うのでは興行価値が下がるからなんとかしてほしい」と言って来ました。
困った服部良一は日本著作権協会を通して「ひばりはアメリカ公演の間は服部良一作品を歌ってはいけない」と通達しました。
でもひばりのマネージャー・福島通人は服部良一の通達を無視。アメリカでひばりに服部作品を歌わせました。
この美空ひばりのアメリカ公演は笠置シヅ子のマネージャー・山内が関わっていたのではないか?という疑惑もあります。
でも、ひばりの関係者もようやく他人のマネではいけないと気づいたのでしょうか。この後、ひばりは自分の持ち歌で勝負する正真正銘のスターになっていきます。
美空ひばりの才能があれば自前の歌で勝負してもスターになれたはず。でもマネージャーの福島通人やひばりの母・喜美枝は手っ取り早く稼ごうとしたのでしょう。
新しい時代のスター
1956年(昭和31年)。笠置シヅ子は第7回NHK紅白歌合戦の紅組トリを務め「ヘイヘイブギ」を歌いました。このときNHKは美空ひばりに出場依頼しましたが、ひばりは裏番組に出て紅白歌合戦には出場しませんでした。
この後、笠置シヅ子は歌手を引退。女優業に専念します。
1957年(昭和25年)。美空ひばりは第8回NHK紅白歌合戦に出場。紅組のトリを勤め「長崎の蝶々さん」を歌いました。
つまり笠置シヅ子と美空ひばりは紅白歌合戦で共演したことがありません。
笠置シヅ子から美空ひばりたち新時代の歌手へと時代は変わっていったのでした。
笠置シヅ子の歌手引退は美空ひばりとは関係ありません。自分の思うような歌や踊りが披露できなくなったことから来る悩みだったようです。
でも、新しい時代のスターが「笠置シヅ子のコピーから始まった」のは面白いところです。
作られたイメージ
笠置シヅ子と美空ひばりの確執については様々に言われています。でも本人同士の仲が悪かったわけではなく。周りの人達が勝手に騒いでいたようです。
美空ひばりの母やマネージャーは知的財産権や倫理的なものは無視して、手っ取り早く人気者をコピーして売出し。それができないと分かると自分たちは被害者、相手を悪者にして世間の同情を集めました。マスコミも偏った内容を伝えました。美空ひばりの自叙伝やドラマもこうした一方的な主張で作られたものです。
一方、笠置シヅ子は確かに我が強く、相手に遠慮のない物言いをします。でもマスコミを使って他人を批判したりはしません。「子供と動物には勝てまへんな」という言葉を残したくらいです。
マスコミや世間は40近いおばさんよりも子供の味方。笠置シヅ子は何を言ってもダメだろうと思ったのでしょうか?シヅ子がひばり側をどう思ったかは不明ですが。シヅ子側の意志は世間に伝わらないまま、間違ったイメージが広まりました。
とはいえ。美空ひばりは芸能界・マスコミ業界では神聖化されているので暴露記事のようなドラマは作れないのかもしれません。
水城アユミと美空ひばりの似てる所と違う所
「ブギウギ」の水城アユミは美空ひばりを意識しつつもあえて変えている部分があります。
水城アユミと美空ひばりの共通点
若手の人気歌手
福来スズ子(笠置シヅ子)は30代半ばの大スター。水城アユミは10代後半の若手の人気歌手。美空ひばりのはデビューは11歳。天才少女として話題になりました。
生まれた年
水城アユミが誕生したのは笠置シヅ子が東京に行く前。ほぼ昭和12年ごろ。
美空ひばりの生年も昭和12年です。
親がマネージャー
水城アユミは父。
美空ひばりは母がマネージャーです。
スズ子(シヅ子)の持ち歌を歌いたい
水城アユミ(美空ひばり)は自分の持ち歌ではなく。福来スズ子(笠置シヅ子)の曲を歌おうとします。
水城アユミと美空ひばりの違う所
母が知人
水城アユミの母はスズ子が尊敬する歌劇団の先輩・大和礼子。
美空ひばりの母は笠置シヅ子とは面識はありません。
コピーでデビューしない?
美空ひばりは笠置シヅ子のコピーで人気になりました。
水城アユミのデビューの経緯はわかりませんが。スズ子のコピーで人気になったわけではないようです。
ブギは歌わない?
美空ひばりが歌ったのは戦後の笠置シヅ子のヒット曲。ブギシリーズ。
でも水城アユミが「男女歌合戦」で歌うのは戦前のヒット曲「ラッパと娘」
「ラッパと娘」はアユミが2、3歳のころに発表され。音楽を聞く年頃には敵性音楽として規制され、アユミ世代が知るはずない曲。この選曲には無理があります。たぶん父がレコードを持っていたという設定になっているのでしょうね。
アユミにブギを歌わせず古い歌を歌わせるのは「人気歌手のコピー」と思わせないためでしょう。
出会うのは成長後
美空ひばりは11歳のときに笠置シヅ子の歌を舞台で歌いだし、笠置シヅ子にも出会いました。
でも水城アユミが初めてスズ子に会うのはすでに人気になった19歳(推定)のころ。
今の時代では児童労働の問題もあるので小学校も出ていない少女をプロ歌手として働かせる親を登場させるわけにはいかないのでしょう。
ちなみに福来スズ子(笠置シヅ子)は小学校を卒業しています。
年末の歌合戦で共演
オールスター男女歌合戦のモデルはNHK紅白歌合戦。福来スズ子と水城アユミは年末の男女歌合戦に出場。スズ子がトリを勤め、アユミがその前にスズ子の歌を歌います。
でも笠置シヅ子と美空ひばりは同時に紅白歌合戦に出場したことはありません。
他にも水城アユミのモデルになった人はいるので紹介しましょう。
モデルその2・江利チエミ
江利チエミ(本名: 久保智恵美)は美空ひばり、雪村いづみとともに人気になった歌手。
1937年(昭和12年)生まれで美空ひばりと同じ年。
父・久保益雄はクラリネット奏者。戦争で身体を壊した後はピアノ奏者に転向。その後は吉本興業に所属していたこともあります。
母・谷崎歳子はレビュー劇団、東京少女歌劇の出身。その後、吉本興業に移籍。喜劇の舞台で笠置シヅ子と共演したこともあります。
しかし久保益雄は職を失い、母は病気になりました。智恵美は生活のためにジャズ歌手になりました。芸名は江利チエミ。このとき父・久保益雄がマネージャー。兄が付き人をしました。母はチエミのデビュー前に病死しました。
江利チエミは天才少女として人気になります。このころ同世代の美空ひばり、雪村いづみも人気になり「三人娘」と呼ばれました。
紅白歌合戦出場
1953年(昭和28年)。江利チエミは第4回紅白歌合戦に出場しました。
三人娘の中では一番早いです。
このときの笠置シヅ子が「東京ブギウギ」、淡谷のり子が「アデュー」を歌っています。
淡谷のり子が紅組トリだったという説もありますが、記録が残っていないのでわかりません。
その後も江利チエミは紅白歌合戦に出場。
1956年(昭和31年)。第7回NHK紅白歌合戦に出場。
本来は雪村いづみが出場の予定ですが、病気のため代役で出場。
50人中18番手で「お転婆キキ」を歌いました。
このとき笠置シヅ子はトリで「ヘイヘイブギー」を歌ってます。
ドラマ「ブギウギ」の男女歌合戦のモデルは1956年の第7回NHK紅白歌合戦です。
その後の江利チエミ
その後も江利チエミは人気歌手・女優として活動。歌以外にも映画や舞台、テレビにも出演。幅広く活躍しました。
1959年(昭和34年)には高倉健と結婚。しかし姉が横領事件を起こし、高倉健に迷惑がかかるのを避けるために離婚しました。
1982年(昭和57年)。脳卒中で死亡。享年45歳。
江利チエミと水城アユミの共通点
江利チエミと水城アユミには共通点がいくつかあります。
父が音楽家。ピアノ奏者をやったことがある。
ただし笠置シヅ子と面識があったかは不明。
母が少女歌劇出身。笠置シヅ子と共演したことがある。
ただし共演したのは少女歌劇ではなく吉本在籍時の喜劇。
十代で歌手デビュー。父がマネージャーを務める。
紅白歌合戦に出場。同じ時に笠置シヅ子も出演していた。
でも江利チエミは笠置シヅ子の歌は歌っていません。
プロフィールだけ見ると水城アユミに一番似ているのは美空ひばりより江利チエミの方です。でも江利チエミは笠置シヅ子の歌は歌ってませんし、あまり関わりはありません。
モデルその3・水谷八重子
水谷良重も水城アユミに似た部分があります。
水谷良重(みずたに よしえ、2代目 水谷八重子)は美空ひばりと同世代の女優でジャズ歌手。
水谷良重は服部良一のもとで歌の指導を受け、笠置シヅ子の妹分のような存在でした。
良重の母・初代 水谷八重子も笠置シヅ子と交流がありました。水谷八重子は戦前・戦後の女優。シヅ子は水谷八重子のファンだと語っています。ファンというだけでなくシヅ子はOSK時代から水谷八重子と交流がありました。シヅ子は舞台に出演している水谷八重子を見に行ってましたし、水谷八重子もシヅ子に歌のことで相談したりと親しくしていたようです。
良重にとってシヅ子は母の友人であると同時に歌手としても先輩になるのでした。
水城アユミの母がスズ子の先輩の大和礼子。母親が知り合いという部分は似ています。
新時代の若手歌手をまとめたもの
こうしてみると水城アユミは美空ひばり、江利チエミ、水谷八重子など笠置シヅ子よりも若い世代の人気歌手を一人にしたようなキャラクターのようです。
コメント
コメント一覧 (2件)
江利さんは31年紅白出場で両親の設定もドラマと同じみたいです。
こんにちは。
確かに美空ひばりと同じ頃に活躍した江利チエミは水城アユミと共通点がありますね。江利チエミも水城アユミの設定の参考にしたのでしょうね。