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ブギウギ:愛助とスズ子の恋を邪魔する坂口のモデルになった林弘高とは

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坂口は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。

演じるのは黒田有(メッセンジャー) さん。

坂口は日本有数の工業会社・村山興行の東京支社長。
社長の村山トミからは村山愛助の面倒を見るように言われています。

坂口のモデルになったのは吉本興行の東京支社長の林弘高。
吉本せいの弟です。

ドラマ「ブギウギ」の坂口とモデルになった林弘高を紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」の坂口とは

名前:坂口
演:黒田有(くろだ たもつ)

芸能大手・村山興行の東京支社長。社長の村山トミから愛助の面倒をみるように言われています。
最初はスズと愛助を別れさせようと画策します。

ところがスズが真剣に愛助を愛していて、愛助の看病をしているのを知り考えを改めます。そこで坂口のとったこうどうとは・・・

 

坂口を演じるのはお笑いタレントの黒田有さん

お笑いコンビ・メッセンジャーのひとり。相方はあいはら雅一さん。

大阪府東大阪市出身。1970年生まれ。

吉本興行所属で大阪でバラエティ番組に出演後。東京でもテレビ出演が増えました。近年は劇団を旗揚げ「元祖黒久1・1・1」活躍の場を広げています。

モデルは 林弘高

坂口のモデルは吉本興業の初代東京支社長・林弘高(はやし ひろたか)

林弘高は吉本興業の創業者・吉本せいの弟。本名は林勝(はやし まさる)でしたが、後に弘高にしています。
明治40年(1907年)。兵庫県明石市生まれ。

中央大学法学部卒業後、社会民衆党の機関紙の編集に関わりました。

大正13年(1924年)。吉本興業の創業者で姉の夫・吉本泰三が死亡。せいを助けたのが弟の林正之助と林弘高でした。

林弘高は吉本興業部の東京責任者になりました。

1932年(昭和7年)。吉本興行部の組織変更があり、吉本興業合名会社が誕生。東京支社(東京吉本)が正式に設立されました。林弘高は初代東京支社長になりました。

昭和21年(1946年)には東京支社を吉本興業から独立させ吉本株式会社(東京吉本)を設立、初代社長になりました。浅草花月、江東花月、横浜花月を設立。

松竹や東宝に対抗して音楽とダンスの舞台を公演。お笑いの吉本らしく歌やダンスにコントもあるバラエティ感あふれるステージでした。アメリカから帰ったばかりのダンサー・中川三郎を高額で契約。中川三郎の退団後はあきれたぼういずなど人気スターが吉本ショウを支えました。

東京や横浜に映画館を設立して経営しました。さらに上映だけでなく映画製作にも注目。東宝・日活・東横映画・東急と協力して新興キネマを買収して太泉映画を設立しました。林弘高は太泉映画の初代社長になりました。

その後、太泉映画は映画の自主制作を断念。東横映画、東京映画配給と合併して東映が誕生。太泉映画は消滅しました。太泉の撮影所は東映の東京撮影所として残っています。

姉・せい、兄・正之助の死後。
昭和38年(1963年)には大阪の吉本興業の社長になりました。

晩年は脳梗塞になりましたが、仕事を続けました。

昭和46年(1971年)。喉頭癌のため死去。享年64。

林弘高はそれまで関西が中心だった吉本興業の事業を関東で本格的に広め発展させました。吉本せい・吉本泰三夫婦の頑張りで吉本は漫才などのお笑いや舞台での演劇の世界では日本でもトップクラスの大企業になりました。林弘高はダンスや歌などお笑い以外のエンターテイメントや映画産業への進出。吉本の多角化を進め発展させました。

吉本をお笑いだけではなく、もっと幅広いエンタメ企業へと成長させた人物のひとりといえます。

林弘高と笠置シズ子

昭和18年(1943年)。名古屋で巡業中の笠置シズ子は吉本穎右(よしもと えいすけ)と出会いました。穎右がシズ子の大ファンだったで、名古屋の吉本に立ち寄りシズ子に会いに行ったのでした。その後、シズ子と穎右は何度か会うようになり。やがて愛し合うようになりました。

昭和20年(1945年)5月。東京大空襲で三軒茶屋のシズ子の家と市ヶ谷の吉本家別宅が焼けてしまいます。シズ子と同居していた父・音吉は香川に戻り、シズ子も知人で東宝の杉原貞雄の勧めで京都に引っ越しする予定でした。

林弘高の好意で笠置シズ子と吉本穎右が同居

このとき穎右の叔父・林弘高は荻窪に住んでいました。林家の隣に留守になってるフランス人宅があったのでその家を借りて、穎右や親戚、杉原貞雄の家族をそこに住まわせました。このときシズ子にも声がかかりました。

シズ子は林弘高の好意で穎右と同じ屋根の下で暮らすことになります。戦争が終わりその年の末まで一緒に暮らしました。

吉本せいは穎右とシズ子の結婚を反対していました。にもかかわらずシズ子を穎右と同じ家に泊めました。林弘高もある程度は二人の仲を認めていたのでしょう。

穎右の死とシズ子の出産

戦後。シズ子は芸能生活を復帰。穎右は東京の吉本で働き始めます。叔父・林弘高のもとで会社の将来を背負う人材として鍛えられました。

ところが穎右の母・せいの具合も悪いということで。大阪の吉本本家からは穎右を大阪に帰らせるようにと催促が来るようになりました。穎右も病気が悪化。穎右は大阪に戻りました。このころシズ子は妊娠したことがわかりました。

やがて穎右は病気が悪化、危篤状態になりました。大阪に戻っていた林弘高から杉原貞雄には連絡が入り、その杉原貞雄からシズ子に伝わりました。林弘高は妊娠中のシズ子を気遣ってそのことは言わない方がいいのではないかと思ったようですが。杉原貞雄の判断で伝えることにしたようです。それからまもなくしてマネージャーの山内を通じてシズ子に穎右の死が知らされました。

6月1日。シズ子が娘のヱイ子を出産。林弘高は出産のお祝いにかけつけお祝いの品と、吉本家からのお見舞金も渡しました。

その後。林弘高はヱイ子をひきとってもいいと言いましたが。シズ子は娘を自分で育てる決意をします。

笠置シズ子のマネージャーの失踪とは関係ない

ドラマ「ブギウギ」ではスズ子と愛助を別れさせるため。スズ子のマネージャー五木に接触。2人を別れさせるようにしむけます。結局、五木はバンドのお金を持って消えてしまいました。

史実では笠置シズ子のマネージャー・中島がシズ子のバンドを勝手に売ってしまいました。林弘高とは関係なく、中島の金銭的な問題だったようです。

そして、シズ子は活動できなくなり困っていると吉本穎右からマネージャーの山内義富を紹介され、吉本の支援のもと興行を続けました。当然、穎右だけでは決定できませんから。林弘高や吉本せいの許可があったはずです。

吉本せいは二人の結婚に反対していました。それでも協力したということは穎右や林弘高が説得したのでしょうね。

 

ドラマの坂口はどう関わってくる?

林弘高と笠置シズ子の関わりは多くはありませんが。吉本穎右を通して関わりがありました。ドラマでは福来スズ子と村山愛助の恋愛が予想されます。

林弘高をモチーフにした坂口が関わってくるようです。一体どのように描かれるのか楽しみです。

 

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