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ブギウギ:橘アオイ・USK男役トップスターのモデルは?

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橘アオイは NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物です。

演じるのはOSK日本歌劇団の男役スター 翼和希(つばさ かずき) さん。

橘アオイはUSK梅丸少女歌劇団の第一期で男役。

ヒロイン花田鈴子を厳しく指導する先輩です。

ドラマのUSKのモデルになったのはOSK日本歌劇団(当時は松竹楽劇部)。

橘アオイにはモデルはいるのでしょうか?

ドラマ「ブギウギ」の橘アオイとモデルになった人物について紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」の橘アオイとは

名前:橘アオイ(たちばな あおい)
演:翼和希(つばさ かずき)

大阪道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)の第一期生。男役トップスター。力強い踊りが特徴。

新しく入ってきた花田鈴子たちを厳しく指導します。

子供時代の鈴子が入団したころ。USKで最初舞台で橘アオイたちが演じていたのが「胡蝶の舞」という踊り。「胡蝶の舞」という踊りは創設間もないころの宝塚が演じていた演目。もちろん当時の宝塚の「胡蝶の舞」とドラマの「胡蝶の舞」は別物ですが。ヒントになっているのかもしれません。

 

 

演じるのはOSKの翼和希(つばさ かずき)さん

出身:大阪府枚方市。

OSK日本歌劇団所属の現役男役スター。

「ミュージカルロマン 陰陽師」では源頼政。
「the Diamond Quality」「へぼ侍」にも出演、主演を勤めています。

2023年からは大阪枚方市のPR大使も勤めています。

橘アオイたちが所属する梅丸少女歌劇団(USK)のモデルになったのは松竹楽劇部。現在のOSK日本歌劇団です。

橘アオイのモデルは?

「ブギウギ」ヒロイン・花田鈴子のモデルは笠置シヅ子。
梅丸少女歌劇団(USK)のモデルは松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)

ということは橘アオイのモデルは笠置シヅ子が松竹楽劇部に入団したときの男役トップスターになりますよね。

ところが、橘アオイにピッタリ当てはまる人はどうもいないのです。

今の宝塚やOSKと違って松竹楽劇部ができた当時は映画と映画の間に上演する踊りが中心でした。ダンスや歌劇が独立して演じられるのはもう少し後になってから。当時も男役はいましたが長い髪をまとめていました。男役が短髪になるのは東京の松竹で水の江瀧子がはじめてから。大阪では笠置シズ子が入団した時に短髪の男役はいませんでした。

笠置シヅ子が入団した時にも飛鳥明子たちスターはいました。でも飛鳥明子はプリマドンナ(娘役トップスター)で男役ではありません。

ドラマの橘アオイに匹敵する存在感のある男役スターはどうもみあたりません。なにしろ笠置シヅ子とほぼ同期のアーサァ美鈴と柏ハルエがOSKの初代男役看板スターといわれているくらいです。

そこで橘アオイの直接のモデルはいなさそうなのですが。キャラ設定の参考になったと思われる人を探してみました。

その候補が 水の江瀧子と柏ハルエです。

水の江瀧子(みずのえ たきこ)

1915年(大正4年)生まれ。

東京松竹楽劇部(松竹少女歌劇部)の第一期生。「ターキー」の愛称でも呼ばれます。

日本で初めて髪をショートカットで演じた男役トップスターといわれます。それまでも男役はいましたが長い髪をまとめていたので今の男役のイメージとはちょっと違うようです。

水の江瀧子は小顔で凛々しい顔立ち、日本人女性離れした長身と短髪で大人気になりました。現在の歌劇の男役のイメージを作ったのは水の江瀧子 といってもいいくらいです。

水の江瀧子は松竹少女歌劇部のトップスターになりました。

水の江瀧子は東京の松竹少女歌劇部のメンバーなので大阪の笠置シヅ子と日頃から一緒に練習したり舞台に上がることはありません。でも立ち上げて間もない松竹少女歌劇部には大阪から応援部隊がやって来ました。笠置シヅ子も何度も東京にやってきて舞台に上がりました。水の江瀧子とも親しくなります。二人は退団後も交流がありました。

桃色争議

1933年(昭和8年)。松竹を揺るがす大事件が起こりました。当時の松竹は不景気のため団員の解雇や減給を進めていました。

少女歌劇部にも解雇や賃金削減が告げられました。怒った少女歌劇部の人たちは水の江瀧子を中心に団結。騒ぎを聞きつけた共産党員までやってきて会社との労働争議に発展してしまいます。瀧子たちはストライキを用意して会社と対立。一時は瀧子が警察に逮捕されますが。マスコミは「桃色争議」と書きたて世間やマスコミは「少女」に味方しました。

瀧子たちの動きに影響をうけて大阪でも労働争議が起こりました。でもそれはまた別の機会にお話します。

結局。松竹はイメージダウンで収入が落ち込み。瀧子たちの要求を認めます。瀧子たちは2ヶ月の謹慎処分。復帰後も松竹で活動。

「男装の麗人」とよばれ人気になりました。

松竹を退団後はテレビ業界で活躍

しかし太平洋戦争が始まると女性の男装が禁止され。演劇に規制がかかるようになります。

1942年(昭和17年)。松竹を退団。その後はいくつかの劇団に参加したり、映画に出演しました。

1955年(昭和30年)に日活と契約。石原裕次郎、浅丘ルリ子、長門裕之などを発掘して育てました。日活の全盛期を支え、NHKの番組にも出演。テレビ業界で活躍しました。

ロス疑惑の巻き添えで引退

1984年(昭和59年)。甥の三浦和義が「ロス疑惑」で逮捕され。水の江瀧子も巻き添えをうけて芸能界を引退しました。その後はジュエリー作家として活動しながら静かに暮らしました。

2009年(平成29年)。死去。享年94歳。

共通点は少ないですが

橘アオイと水の江瀧子の共通点は、
・松竹の劇団員。
・当時は珍しかった短髪の男役トップスター。
・桃色争議に関わっている。
・その後、退団。

ドラマの橘アオイは桃色争議では強行な大和礼子に否定的。

そのものズバリなモデル。というわけにはいきませんが似たところがあります。

男役のイメージを作ったのは水の江瀧子ですし。笠置シズ子と同じ時代を生きた松竹の男役トップスター。重要な部分は共通してますね。

 

モデルその2・柏ハルエ

もう一人のモデルは 柏ハルエ かもしれません。

柏ハルエ
橘アオイ

「漢字一文字の植物」+「カタカナ3文字」名前の雰囲気も似てる。

柏ハルエは笠置シズ子とほぼ同期。
アーサア美鈴とともに大阪松竹少女歌劇団(OSSK)では初の本格的な男役スターです。

桃色争議の前はトップスターではなくまだ脇役でした。

桃色争議で飛鳥明子たちが退団。人気スターのいなくなったOSSK(大阪松竹少女歌劇団。後にOSK大阪松竹歌劇団に改称)は苦しくなりました。東京の松竹歌劇には水の江瀧子がいます。もともと人気のあった宝塚歌劇は松竹が混乱している間にさらに人気を集めました。

大阪のOSSKでは東京の水の江瀧子に対抗するため、柏ハルエ、アーサア美鈴を男役スターとして売り出しました。

こうして落ち込んだOSKを盛り上げるため、笠置シズ子、柏ハルエ、アーサア美鈴たちが奮闘するのでした。

 

スズ子が生きた時代の理想の男役像として

橘アオイには特定のモデルはなさそうです。「ヒロインの先輩で男役スター」といういかにもありそうな設定が先にあって。そこから独自に作られたキャラクターという感じはします。

でも様々な男役スターのイメージを混ぜ合わせて「こういう人がいたかもしれない」と思わせる存在感のあるキャラになってますね。

「後輩」にあたる翼和希さんがどのように演じるのかも楽しみですね。

 

 

 

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