花田梅吉は NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物です。
演じるのは柳葉敏郎 さん。
ヒロイン・花田鈴子の父親です。
花田鈴子は 昭和の大スター 笠置シヅ子 をモデルにしています。
ということはの花田梅吉のモデルは笠置シヅ子の父親になりますね。
ドラマ「ブギウギ」の花田梅吉とモデルになった笠置シヅ子の父親 亀井音吉を紹介します。
ドラマ「ブギウギ」の花田梅吉とは
名前:花田梅吉
演:柳葉敏郎
香川生まれ。
花田梅吉は鈴子の父親。ツヤの夫。
今は大阪市の福島で銭湯を経営しています。
映画と芝居が好きな道楽者で情にもろい。酒と美味しいものにも目がありません。典型的な浪速のおやじとして描かれます(香川出身ですが)。
鈴子の歌手になりたいという夢を応援します。
演じるのは柳葉敏郎(やなぎば としろう)さん。
もと「一世風靡セピア」のメンバー。「欽ドン」に出演。
「男女7人秋物語」などトレンディドラマに出演。
「踊る大捜査線」室井慎次
大河ドラマ
「太平記」猿の石
「北条時宗」安達泰盛
モデルは笠置シヅ子の養父・亀井梅吉
笠置シヅ子には父親が二人いる
花田鈴子のモデルが 笠置シヅ子ですから。
花田梅吉のモデルも笠置シヅ子の父親ですよね。
笠置シヅ子には父親が二人います。
実の父親の 三谷陳平
育ての親の 亀井音吉です。
花田梅吉のモデルになったのは養父の亀井音吉の方ですよね。
育て親・亀井音吉
亀井音吉(かめい おときち)は香川県大川郡引田村(香川県大川郡引田町→現在の香川県東かがわ市)出身。
同じ引田出身の中島うめと結婚。
亀井音吉は大阪に出て商売を始めます。
シヅ子が生まれたころは大阪市福島で米・薪炭・酒類の販売業を営んでいました。
音吉とうめには長男・頼一が誕生。
1914年(大正3年)。音吉とうめの間に次の子供ができました。
妻のうめは出産のため香川に帰省、次男の正雄が誕生します。
ところが大阪に戻ってきたうめを見て音吉はびっくり。なんと子供は二人いました。
「双子かいな、こらあ、えらいこっちゃ」梅吉は驚きました。
実の子は正雄だけ。もうひとりの子供ミツエ(笠置シヅ子)はうめが香川にいるときに引き取った養子でした。でも「しゃあない」と妻がひきとった子供をわが事をして育てることにしました。
音吉とはそういう気のいい人物でした。また、当時は貧乏や不幸なおいたちから養子に出される子もいて、人々は助け合いながら生きていました。
ミツエは志津子と名前を変えて亀井夫妻の娘として育てられました。
その後。八郎が誕生。
後に志津子は「静子」と名前を変えますが。この記事では一般に知られている「シヅ子」と表記します。シヅ子は実の両親を知らされずに育ち。実の両親を知ったのはシヅ子が17歳のときでした。
ところが長男・頼一、次男・正雄が死亡。実子で残ったのは八郎だけになります。
銭湯を営む
大正から昭和に変わるころ。亀井音吉は酒屋から風呂屋に商売を変えました。
当時の大阪は人口が急増。風呂屋の需要が高まり、大阪では銭湯が人気でした。そこで音吉も銭湯人気にめをつけて風呂屋を開業しました。
風呂屋は衛生管理がとても大切なので、保健所から指導が入ります。営業地域も決められ、大阪市が発展するとともに人口の変化。風呂屋の営業地域も細かく指導を受け。亀井家は4回引っ越ししました。
遊び人で芸事が好き
亀井音吉は芸事と賭け事が好き。しっかり者の妻を困らせていました。
困った人物なのですが愛嬌があって憎めない人物でした。大阪を舞台にした人情ドラマに出てくる典型的な浪速のオヤジです。香川出身ですけれど。
そんな音吉ですから、歌が好きなシヅ子を応援。
シヅ子は風呂屋の脱衣場で歌や踊りを披露。お客さんにも評判になりました。シヅ子は地元の浪速劇団にさそわれて子役で舞台デビュー。
1927年(昭和7年)。小学校を卒業したシヅ子は宝塚音楽学校を受験。宝塚は不合格になりましたが。このころ道頓堀にできた「大阪松竹少女歌劇」に入団しました。
やがてシヅ子は劇団で人気が出て、松竹が東京に作ったSGD(松竹楽劇団)に移籍が決まりました。
音吉は大喜び。シヅ子が東京に向かう日。音吉は盛大にシヅ子を送り出しました。やがてシヅ子は東京で人気歌手になります。
1938年(昭和13年)。息子の八郎が軍に入隊。このころまでに八郎以外の実子は全て他界。
1939年(昭和14年)。しっかり者で音吉を支えてきた妻・うめも亡くなりました。
その上、唯一生き残った息子も兵隊に取られてしまいました。気落ちした音吉はすっかり働く意欲を失っていました。
シヅ子は音吉を東京三軒茶屋の借家に呼んで養うことにしました。梅吉は汽車で東京駅に到着。シヅ子が迎えに来ました。そのときの音吉はとても不安そうだったと言われます。
やがて戦争が始まり八郎は戦死。
1945年(昭和20年)。東京大空襲で三軒茶屋の借家が焼失。シヅ子も音吉も命は助かりました。シヅ子は当時付き合っていた吉本穎助とともに知人の家で暮らすことになり。音吉は郷里の香川県引田に戻りました。
そして終戦。
自慢の娘
戦後。
1947年(昭和22年)。笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が大ヒット。その後もヒット曲が続きシヅ子は大スターになりました。
音吉にとってシヅ子は自慢の娘でした。そして今や町の自慢にもなっていました。
笠置シヅ子ふるさと公演
香川の引田で暮らしていた音吉には何人もの友人がいて。町の散髪屋は仲間たちとの憩いの場になっていました。
その仲間たちの間で「笠置シヅ子」を引田に呼ぼうという話がもちあがります。引田小学校の校長も巻き込んで笠置シヅ子の引田公演を実現させる計画が動き出しました。場所は地元の朝日座という劇場です。学校からピアノが貸し出されました。プロの興行師ではなく町の人々が計画した素人公演です。
当時の笠置シヅ子は超人気スター。東京で舞台に立つ一方で、地方巡業もこなしていました。超多忙のシヅ子でしたから簡単に公演を増やすことはできそうもありません。
でもシヅ子は町の人達が金儲けではなく手作りで公演を開こうとしていると聞いて心を動かされ。音吉と町の人々の願いに応えることにしました。
1949年(昭和24年)。笠置シヅ子の高松公演のついでに1日だけ引田に来ることが決定。チケットは直ぐに完売になりました。
当日は大勢の人が詰めかけて町始まって以来の大騒ぎとなり、笠置シヅ子の引田公演は無事成功。シヅ子は引田公演の売上を引田町に寄付しました。
年老いた音吉にとっても最高の思い出になったでしょう。
梅吉は遊び人で妻を困らせていたようで。シヅ子は養父の音吉についてはあまり語っていません。でも自分を育ててくれた人としては感謝していたようです。
ドラマ「ブギウギ」ではヒロイン鈴子の父・花田梅吉がどのように描かれるのか楽しみです。どうやら音吉同様にどうしょうもないオヤジのような感じもしますね。それと、もしかするとふるさと公演の場面があったりするのでしょうか。
参考にさせていただきました。↓
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