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らんまん:槙野タキのモデルは牧野富太郎の祖母・牧野浪子

らんまんアイキャッチ

槙野タキ(まきの たき)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。

演じるのは松坂慶子さん。

主人公・槙野万太郎の祖母。

土佐国(高知県)佐川の造り酒屋峰屋を支え、幼くして両親を失くした万太郎を育てます。

槙野タキにはモデルになった人物がいます。牧野富太郎の祖母・浪です。

ドラマ「らんまん」の槙野タキと、彼女のモデルになった 牧野浪子を紹介します。

 

目次

ドラマ「らんまん」の槙野タキとは

名前:槙野タキ(まきの たき)
演:松坂慶子

主人公・槙野万太郎の祖母。コロリ(コレラ)で夫、息子(万太郎の祖父と父)を亡くしました。そのため由緒ある酒蔵の峰屋の当主代理として守ってきました。

意志の強い女性で万太郎を厳しく育てます。万太郎を怒鳴る場面もあります。

土佐には「はちきん」という言葉があります。これは「元気で、はっきりとものを言い、明るくて、負けん気が強い高知の女性」のこと。

ドラマ「らんまん」のタキは「はちきん」として描かれるようです。

 

タキのモデル 牧野浪子 とは

牧野富太郎の祖母。
名前は牧野浪子(浪とも)

酒蔵の岸屋の当主・牧野家小左衛門(富太郎の祖父)の妻。

牧野富太郎の父・佐平は親族から来た婿養子なので浪と佐平は実の親子ではありません。
牧野富太郎の母・久寿は牧野家の人間。
佐平と久寿の間に生まれたのが成太郎(後の富太郎)

家族を次々に失い富太郎を健康な後とに育てる

富太郎が3歳のときに父・佐平。4歳のときに母・久寿、6歳のときに祖父・小左衛門が他界。そのため浪は悪い縁を絶とうと成太郎の名前を富太郎に変えました。昔は家に悪いことや病気が続くと子供の名前を変えることはありました。

富太郎も幼い頃は体が弱かったので、浪子はお灸をすえて富太郎を丈夫にしようとしました。富太郎も自叙伝で祖母のお灸のおかげで体が強くなったと書いています。でも富太郎は嫌なので逃げていましたが、酒蔵の男に捕まってお灸をうけていたようです。

とはいえ浪子は岸屋の跡取り息子になる富太郎を大事に育てました。むしろ甘やかして育てていたようです。ドラマのタキとはかなり違います。

甘やかされて育った富太郎は家業よりも植物に興味をもち植物採集をしたり植物の研究にのめり込んでいきます。当時、専門書はとても高価でしたが。富太郎が植物の専門書がほしいとねだると浪子は大阪から取り寄せて買い与えました。

家業の岸屋には優秀な番頭や職人がいました。伝統のある古い家なので、しきたりもあり、当主がいなくても事業を続けていくことは問題なくできました。

しかし富太郎は植物学を極めるため東京に出て植物学の研究を始めました。

富太郎に学問をさせるため東京に向かわせる

浪子は和歌をたしなみ書道もする教養のある女性でした。育ちの良いところもあったかもしれません。

江戸時代。学問は役に立たない道楽、お金にならないものと思われていました(現代でも研究者に「何の役にたつのか」と質問するマスコミが多いのはその名残り)。浪子はそういう時代に育った人にしては学問に理解があります。

学問や文化に理解のある浪子ですから富太郎にも岸屋の主人として教養を身につけるため東京に送り出したはずでした。

ところが富太郎は浪子の予想を超えてますます植物学にハマってしまいます。

富太郎の二度目の東京行き

一度は高知に戻ってきた富太郎ですが。

富太郎が22歳の時。どうしても植物学があきらめられず、東京に行きたいと浪子に打ち明けました。

浪子は富太郎が家業よりも学問の道に進もうとしていることを理解。浪子は落ち込みました。でも富太郎の選択を尊重します。

東京と高知を往復するという条件で富太郎を東京に送り出しました。富太郎の東京での生活、研究費用は全て浪子が岸屋の蓄えから出していました。

高価な機材や植物誌の自費出版など。富太郎はどんどんお金を使いますが。浪子は富太郎からいわれるままにお金を出しました。しかし岸屋の経営は悪化していきます。

高知に戻ってきた富太郎に浪子は岸屋の財産がかなりなくなっているを伝えましたが。でも浪子は富太郎にお金を出してほしいと言われれば出してしまいます。浪子はどこまでも富太郎に甘いのでした。その一方で、富太郎の才能を誰よりも理解していたのは浪子だったかもしれません。

浪子の最期

明治20年(1887年)。慎太郎の念願の植物誌「植物学雑誌」創刊。まだ日本に学術誌がほぼなかった時代。富太郎の手掛けた「植物学雑誌」は素晴らしいできで、研究者の間でも称賛を受けました。

しかしこの年。浪子は他界するのでした。

祖母の訃報を聞いた富太郎は高知に戻り。いよいよ実家を継ぐかどうか迷いますが。
「自分が植物学の道に踏み出せたのは祖母が陰に日向に世話を焼いてくれたから。植物学の世界で結果を出すことで、祖母の恩に報いる」と植物学の道に進むことを決意するのでした。

富太郎が成功したのも浪子の育て方のおかげ?

牧野富太郎といえば遅れていた日本の植物研究を世界レベルに引き上げ。植物に関心のなかった日本の国民に身近な植物の素晴らしさを伝え、植物研究を目指す人を育てた人です。その一方で金銭感覚のなさが話題になることもありますが。

幼い頃から甘やかされて育ったことも影響していそうです。やりたいことを自由にやらせるせる浪子の育て方は甘すぎるかもしれません。結果として酒蔵は人手に渡ってしまい岸屋は倒産します(岸屋の番頭が経営権を取得)。

でも富太郎は研究者としての才能だけでなく、堅物な学者ではなく出会って話をした人を虜にする不思議な魅力がありました。そのため苦境に陥っても次々に支援者が出てきます。実績があるというだけではそこまで支援者が出てくることはなかったでしょう。

富太郎が人間的な魅力をもつ人物に成長したのも浪子の育て方のおかげともいえそうです。

いくら才能があっても何が何でも学問をさせず無理やり後を継がせていたら植物学者 牧野富太郎はこの世には存在していません。日本の植物研究はもっと遅れていたでしょう。

当時は何かに夢中になって家の財産を食いつぶす人はわりといました。富太郎だけが異常なのではありません。浪子もやりきれない思いはあったかもしれませんが、世の中のためと思って諦めもついたかもしれません。

酒蔵の跡取りを育てることには失敗しました。でも世界レベルの研究者を育てることには成功したのです。

 

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