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らんまん:山元虎鉄のモデルはどんな人?

らんまん

山元虎鉄(やまも とこてつ)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。

演じるのは寺田心さんと濱田龍臣さん。

山元虎鉄は高知の遍路宿の息子で万太郎が植物採集に来たときに出会いました。2人のでありがヤッコソウの発見につながります。

その後、山元虎鉄は東京に出てきて万太郎の助手になります。

ドラマ「らんまん」の山元虎鉄とモデルになったひとたちを紹介します。

 

目次

ドラマ「らんまん」の山元虎鉄(やまも とこてつ)とは

名前:山元虎鉄(やまも とこてつ)

高知の遍路宿「角屋」の息子。
万太郎が高知に植物採集に来たときに出会い「ヤッコソウ」の発見に貢献。

万太郎が東京に戻った後も植物採集に協力。高知で採取した標本を万太郎のもとに送りました。さらに山元虎鉄の知り合いの教師も万太郎に助言をもとめることになり。万太郎と地方の植物愛好家がつながるきっかけのひとつになりました。

その後。上京して万太郎の助手になりました。
やがて万太郎の娘・千歳と結婚します。

少年時代

演:寺田心(てらだ こころ)
2008年生まれ。
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」井伊虎松の子供時代
連続テレビ小説初出演

子役時代にTOTOのCMに出演。大変人気になりました。その後も多数の番組、CMに出演。

青年時代

演:濱田龍臣(はまだ たつおみ)

NHK大河ドラマ「龍馬伝」坂本龍馬の子供時代
連続テレビ小説初出演

他にウルトラマンジードなど。

 

山元虎鉄(やまもと・こてつ)のモデルとは

山元虎鉄は架空の人物。特定の一人がモデルになったのではなく。いくつかの人物を合わせたようなキャラクターです。

モデル1・ヤッコソウの発見者 山本一(やまもと はじめ)

山元虎鉄のモデルのひとりがヤッコソウの発見者 山本一です。

牧野富太郎の植物学者としての業績で代表的なのがヤッコソウの発見です。

明治40年(1907年)。東京大学の草野俊助が高知に植物を見に行きました。高知の師範学校の教師だった山本一(やまもと はじめ)が土佐清水市で生徒と一緒に採集した植物を東京に持ち帰りました。

草野俊助が持ち帰った植物は牧野富太郎が検定して新種であることがわかりました。

牧野富太郎は発見者の山本一の名前をとってミトラステモン・ヤマモトイ・マキノと学名を付けました。和名はヤッコソウ。

牧野富太郎は植物雑誌にヤッコソウを発表しました。ヤッコソウはとても珍しい植物で他に似たようなものがありません。そこで牧野富太郎は「ヤッコソウ科」を作りヤッコソウを所属させました。

その後、ヤッコソウはドイツの植物学者エングラーが研究してラフレシア科に分類されたこともありましたが。現在の遺伝子分析技術で解析したところ、やはり他に似たものがない植物ということになって再び「ヤッコソウ科」に分類されています。牧野富太郎は鋭い観察眼で、遺伝子解析技術のない時代に植物の特徴をよく捉えていたのでした。

ドラマでは山本虎徹は学校教師ではありませんし、山本虎徹と牧野富太郎が直接出会っていますが。学名に「ヤマモト」が付くところは同じです。

 

モデル2:牧野富太郎の協力者

もう一つのモデルはとくに決まった人物というわけではなく。牧野富太郎に協力した植物愛好家たちです。

牧野富太郎の後半生は植物の知識を世間に広めることに費やしました。知識を学者だけで独占していても意味がないと思っていたのです。

牧野富太郎はとても気さくで植物のことを聞かれたら何でも答えていました。全国の植物愛好家、学校の教師から問い合わせが来ても丁寧に答えていました。そんな牧野富太郎の活動の影響もあって各地で植物研究の愛好会が作られました。

牧野富太郎は日本各地の植物愛好家の集まりに講師として呼ばれて植物の話をしたり一緒に植物を採取して人々に植物のことを広めていました。牧野が地方の植物愛好会の立ち上げに協力したこともあります。

牧野富太郎としても招かれて出される謝礼は生活の足しや採取旅行の旅費になっていました。各地の植物採集が出来るよい機会でした。

愛好会にとっても牧野にとってもとってもメリットのあることだったのです。

そういうわけで日本各地の植物愛好会の代表や学校教師には牧野富太郎の知り合いが大勢いました。そういった人たちからも日本各地の標本が送られていました。

高知の植物愛好家たち

牧野富太郎の影響を受けて植物同好会を作った人物に吉永虎馬(よしなが とらま)がいます。牧野富太郎と同じ高知県の出身。高知博物学会を作った人物です。

明治から昭和の初期にかけて日本各地に植物愛好家の同好会が作られました。牧野富太郎は多くの植物同好会の設立に関わっています。高知では吉永虎馬が中心になって土佐植物同好会が作られました。

昭和9年(1934年)牧野富太郎と吉永虎馬が講師になって高知で植物採集講習会が開かれました。このときは140人近くが集まり県内や四国はもちろん、兵庫県から参加した人もいます。東大や兄弟の学生も参加しました。

こうして牧野富太郎の教えを受けた人たちが日本各地にいて植物研究の楽しさを広める活動をしていました。

「その国のどこにどのような植物が生えているか」それを植物フローラといいます。植物フローラが詳しく調査されている国は意外と少ないせす。アジアでは日本くらいと言われます。それに本屋に行けば「◯◯山の植物」といった本を入手できます。日本はそのくらい植物が詳しく研究されている国です。

全国の植物が詳しく調査されているのも様々な人が調査を行ったから。植物の詳しい性質や効能を調べようと思ってもどこにどんな植物があるのか分からなければ研究を始めることすらできません。地味ですがとても重要な仕事です。

明治から昭和にかけて牧野富太郎を中心に全国の植物愛好家のネットワークが生まれ。その中から次の世代の植物好きが生まれる。日本の植物学にとって幸せな時代がありました。そんな牧野とともに活動した植物好きに吉永虎馬のような人たちがいました。

もちろん大学や研究機関で研究する人の存在は重要です。専門的で詳しい研究は専門家でないとできません。

でも自然が相手の科学は多くの人手や手間をかけないとわからないことも多いです。様々な人々の協力も大切なのです。現在ではそれを「シチズンサイエンス」と言いますが。牧野富太郎は日本でシチズンサイエンスを行った最初の人物かもしれません。

ドラマの山元虎鉄は吉永虎馬たちのような牧野富太郎を慕い彼を支えた人物をひとりにまとめたような人物かもしれません。

山元虎鉄が槙野千歳と結婚

ドラマ終盤。
山元虎鉄は万太郎と寿恵子の娘・千歳(ちとせ)と結婚します。

牧野富太郎の助手としての山元虎鉄は架空の存在ですし。千歳の直接のモデルになった人はいません。牧野富太郎の娘で牧野富太郎の弟子と結婚した人もいません。

なのでこのエピソードはドラマオリジナルです。

 

参考文献

牧野富太郎の植物学 (NHK出版新書 696)

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田中 伸幸
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