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らんまん:スエコザサ命名までのいきさつ・なぜ妻の名を付けたのが笹だったのか?

らんまん

NHK連続テレビドラマ小説最終週のタイトルは「スエコザサ」。

牧野富太郎と寿衛子の人生を知った視聴者ならほぼ予想でしたタイトルでしょう。

ドラマではいよいよ最終回へむけて急展開。

でもスエコザサの登場は寿恵子の死とセットでやってきます。ドラマの中ではどのように描かれるのでしょうか?

この記事では寿恵子のモデルになった牧野寿衛子の死とスエコザサの発見と命名のいきさつについて紹介します。

 

目次

寿衛子の頑張りと入院

牧野家の苦しい家計を助けるため、寿衛子は渋谷の荒木山で待合茶屋「いまむら」を開店。「いまむら」は繁盛して。大正12年の関東大震災でも大きな被害を受けずに営業を続けました。しかし世の中は次第に不況になりつつあり。寿衛子は店を売却。その資金をもとに大泉村(東京都練馬区)に土地を買って小さな家を建てました。

大正14年(1925年)。家が完成。
昭和2年(1927年)。牧野富太郎が理学博士の学位を取りました。本人は気が進みませんが周囲からどうしても学位をとって欲しい。後輩が学位をもっているのに牧野がもっていないのは具合が悪いということでした。

牧野は肩書のないいち研究者でも大学教授以上の成果が出せる。という子供じみたプライドというか反発心から学位は取りませんでした。でも周囲の人々に強く進められると断れないのも牧野でした。

牧野富太郎は過去の研究論文からぬきだして提出。学位はすんなりでました。

彼は自叙伝にも学位をもらっても面白くないようなことを書いてますが、寿衛子は夫の学位取得を喜びました。牧野富太郎は喜ぶ妻を見て学位をとってよかったと思ったのではないでしょうか。

同じ仕事をする仲間からも世間から認められたということですから。苦労を重ねてきた家族にとっては救われた気持ちになったかもしれません。

ところが、牧野富太郎が学位をとったころから寿衛子が体調を崩して東京帝国大学医学部青山外科に入院しました。

スエコザサ命名までのいきさつ

新種の笹を発見

牧野富太郎が理学博士の学位をとった昭和2年(1927年)の12月。

植物学者で牧野富太郎も慕うマキシモヴィッチ博士の誕生100年記念式典が札幌で行われました。牧野富太郎も招待され式典に出席、講演を行いました。

その帰り。富太郎は教え子のいる仙台に立ち寄り植物採集をしました。そのとき富太郎は見たこともない笹を見つけました。その笹が「新種」だと直感した富太郎は採取して持ち帰り、大泉の自宅に植えました。

寿恵子の最期

昭和3年(1928年)。寿衛子の病状は悪化。病名はよくわりません。子宮癌だろうと言われています。

健康保険の制度ができていない戦前の日本では、家が貧しいと高度な医療を受けるのは難しいです。現代でも重度の癌の治療を10割負担でやれと言われたら多くの家庭では困るでしょう。

当時の病院は入院費が払えなくなると容赦なく患者を追い出してしまいます。寿衛子も多額の費用がかかる入院には積極的ではありません。そうしている間に病状が悪化。

見かねた青山外科の教授が寿衛子を個室に入院させましたがすでに手遅れ。2月28日。寿衛子は亡くなりました。享年55歳。

富太郎と家族は大変悲しみました。

富太郎は同じ病気で苦しむ人の治療研究に役立つようにと寿衛子の患部を大学病院に提供しました。

寿衛子の遺体は天王寺(東京都台東区)の墓地に葬られました。

スエコザサの命名

寿衛子の死後。牧野富太郎は仙台でみつけた新種の笹に「スエコザサ」と命名。
学名は「Sasa Suwekoana Makino(ササ スエコアナ マキノ)」

現代人の中には妻の名をつけるならもっと豪華で美しい花を咲かせる植物に名前をつければいいのに。と思う人もいるかも知れません。

当時の牧野富太郎は笹・竹に興味をもって熱心に研究していました。

寿衛子が亡くなる前に採取され富太郎のもとにやって来たのがスエコザサです。富太郎は直感的に新種だと感じたようです。詳しく調べてみると世の中ではまだ名前のついていない新種と確認できました。富太郎はそこになにやら運命めいたものを感じたかもしれません。

笹・竹は日本では古来、神聖な植物とされ、神事にも使われてきました。たくさん増えるので繁栄の象徴でした。そのため公家や上杉・伊達家のように家紋に笹を使っている家もあります。

現代人が思っている以上に笹・竹は重要な植物です。

スエコザサは普通の笹よりも葉が細かくデリケートで優しい感じがする笹です。寿衛子のイメージにぴったりだったのかもしれません。

そもそも目立つ花ならすでに学名がついています。新種の命名には運命というか時のめぐり合わせがないとできないのです。

 

寿衛子の墓石には牧野富太郎が詠んだ歌が刻まれています。

家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹

寿衛子の死後も大泉の牧野家の庭にはスエコザサが生い茂りその後の富太郎と家族を見守りました。

 

 

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