池田 蘭光(いけだ らんこう)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。
演じるのは寺脇 康文さん。
名教館(めいこうかん)という学校の学頭で。幼いころの慎野万太郎に学問の基礎や学ぶことの大切さを教えます。
池田 蘭光のモデルになった人物は伊藤 蘭林です。
ドラマ「らんまん」の池田 蘭光とモデルになった伊藤 蘭林を紹介します。
ドラマ「らんまん」の池田 蘭光 とは
名前:池田 蘭光(いけだ らんこう)
演:寺脇 康文
NHK大河ドラマに出演
私塾・名教館の学頭。有名な学者ですが大の酒好き。身なりにも無頓着な変わり者。
名教館は武士の子が学ぶ学校ですが。町人の子も学ぶ時代だというので牧野万太郎と廣太が通うことになりました。池田 蘭光は庭で植物に話しかけている万太郎に興味をもって話しかめます。「本草綱目」という書物を持ち出して植物のことを教えました。
ところが「本草綱目」は明の書物なので漢文が読めないと意味がわかりません。
池田蘭光はそんな万太郎に学問の基礎、学ぶことの大切さを教えた人。そんな蘭光のもとで万太郎は漢文や英語も読めるようになります。そして池田蘭光は万太郎と広瀬裕一郎に大切なことを教えて去っていきます。
人生の師匠といえる人物です。
伊藤 蘭林とは
本名は伊藤徳裕(いとう のりひろ)
号(ペンネーム)は蘭林(らんりん)
文化12年(1815年)9月28日生まれ。
土佐国 上郷で生まれました。
父は深尾家の家臣・伊藤徳正。
深尾家は山内家の家老。佐川周辺を治める領主です。
伊藤蘭林は広井遊冥(ひろい ゆうめい)に弟子入り様々な学問を学びました。若いころの伊藤蘭林も深尾家の作った学校・名教館で学びました。
漢学(儒学)の他、天文、暦算、詩歌、書道、武術にもすぐれていました。
伊藤蘭林は土佐藩家老の深尾氏に儒学者として仕える一方で、私塾も開き人々に学問を教えていました。明治のはじめころには深尾家が作った名教館の教授を務めています。
幕末の鳥羽・伏見の戦いの後。
慶応4年(1868)1月11日。朝廷は会津藩・桑名藩・高松藩・備中松山藩・伊予松山藩・大多喜藩を徳川慶喜の共犯とみなしました。
土佐藩には松山藩征討の命令が下りました。
すると伊藤蘭林は鎧を着て土佐藩の一員として出陣します。伊藤蘭林はこのときすでに50歳を超えていましたが。若いものには負けていられないと元気なところを見せました。
戦が終わると伊藤蘭林は佐川に戻って名教館や私塾で教育に携わります。
伊藤蘭林は50年近く教育に関わり多くの著名人を育てています。幕末明治初期の佐川から出た志士ほとんどが伊藤 蘭林の弟子というくらい多くの人材を育てました。
明治28年。死去。享年81歳。
伊藤 蘭林の教え子
田中光顕(たなか みつあき)。
陸援隊メンバー。中岡慎太郎の死後は陸援隊隊長。明治になってからは宮内大臣。
牧野富太郎(まきのとみたろう)。
「日本の植物学の父」といわれる植物学者。
広井勇(ひろい いさみ)。
「港湾工学の父」といわれる土木工学の権威。広井勇は広井遊冥のひ孫になります。
「らんまん」では「広瀬裕一郎」として登場します。
土方寧(ひじかた やすし)。
貴族院勅選議員、法学者。
古沢 滋(ふるさわ しげる )。
土佐勤王党のメンバー。後に板垣退助たちとともに自由民権運動に加わり。後に奈良県知事、石川県知事、山口県知事などを務めます。
など。明治維新の志士や明治の日本で活躍した人々がいます。
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