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虎に翼:茨田りつ子が出演!モデルになった家裁の宣伝活動とは?

虎に翼

朝ドラ「虎に翼」6月27日の放送では茨田りつ子が登場。視聴者を驚かせました。

家庭裁判所ができたものの、世の中に知られていません。

そこで滝川のアイデアで世の中に家庭裁判所を知ってもらうための広報活動が始まっていました。

「愛のコンサート」の出演者として茨田りつ子が登場する事になったようです。

史実でも家庭裁判所が出来た後。宇田川のアイデアで広報活動が行われました。そのときに芸能人を起用した宣伝が行われています。そのときのエピソードがモデルになっているようです。

この記事ではドラマのモデルになった家庭裁判所の広報活動を紹介します。

目次

ドラマ「虎に翼」の家庭裁判所の広報活動

6月下旬放送の第13週「女は掃きだめから拾え?」では

新しく出来たばかりの家庭裁判所を世の中に広めるために滝川が「愛のコンサート」を企画。同時に滝川と寅子がラジオにも出演しました。

このとき久藤頼安の紹介で茨田りつ子の出演が決定。視聴者をアッと驚かせました。

茨田りつ子は朝ドラの前作「ブギウギ」に登場した人物。淡谷のり子をモデルにした人気歌手です。

今後の展開も気になりますが。

実際に淡谷のり子は家庭裁判所と関係あるのでしょうか?

史実の広報活動

昭和24年(1949年)。宇田川潤四郎(滝川幸四郎のモデル)たちの努力によって家庭裁判所が設立。

3月には東京家庭裁判所の建物が完成。

宇田川は4月に行われる新庁舎開庁式にあわせて全国で「家庭裁判所創設記念週間」を実施。

様々な部署から協力者を集めて来て「家庭裁判普及会」を作り宣伝活動を始めました。その中には「殿様判事」のあだな名をもつ内藤頼博(久藤頼安のモデル)もいました。

家庭裁判所からは三淵(当時は和田)嘉子(猪爪(佐田)寅子のモデル)が事務局を務めました。

弁護士の久米愛(寅子の先輩のモデル)も加わっています。
三淵嘉子と久米愛は戦後も親しく交流していました。嘉子の依頼で久米愛が就任したと言われます。

久米愛は三淵嘉子の大学の先輩で同じ年に弁護士になった人物。ドラマでは久保田聡子や中山千春に相当する人物ですが。ドラマでは寅子と久保田聡子・中山千春との交流はほとんど描かれていません。今のところ、戦後は寅子の先輩たちとの関係がなくなり、同級生との交流がメインになっているので史実とはかなり違います。

愛の裁判所

当時は家庭裁判所は出来たばかり。世の中の人達は家庭裁判所が何なのか知りません。「裁判所」という名前が就くので怖いところと思っている人もいます。

当時は「子供を刑務所に入れるための裁判所」と誤解している人もいました。

そこで宇田川は国民の誤解を解いて親しみやすい家庭裁判所をアピールするため広報活動を始めたのです。

キャッチフレーズは

家庭に光を、少年に愛を

に決まりました。

宇田川はこのキャッチフレーズがお気に入りでした。

おなじころ雑誌に三淵嘉子が「愛の裁判所」のタイトルで家庭裁判所を初回する記事を書き、この「家庭に光を、少年に愛を」キャッチフレーズを紹介。三淵嘉子も宇田川の情熱の影響を受けたひとりです。

女優の水谷八重子を採用してポスターを作成

次に芸能人を起用してポスター作りが始まりました。やはり親しみやすい人がふさわしいと思ったのでしょうか。

当時人気があった新劇女優の「水谷八重子」が起用されました。

水谷八重子をお母さん役にして少年と向き合う姿を絵にしたポスターが作られました。

ポスターには「まァこれで安心!あなたもわたしも・・・」のセリフが書かれています。

宇田川はポスターにも「家庭に光を、少年に愛を」の言葉を入れようとしたのですが。なぜかGHQが変更するよう命令がきて、この形になったようです。変更させる意味が分かりません。

水谷八重子は笠置シヅ子や淡谷のり子とほぼ同時代の女優。笠置シヅ子とも交流がありました。親しみやすさが必要なのでしょう。

ドラマでは淡谷のり子をモデルにした茨田りつ子が登場しています。でも実際には淡谷のり子は関係ありません。

親しみやすい家庭裁判所の雰囲気には淡谷のり子は合わないような気もしますが。「虎に翼」の場合は同じ朝ドラの「ブギウギ」との関係もあるのでしょう。

「ブギウギ」に水谷八重子をモデルにした人物が出ていればまた違った形になったかもしれません。

水谷八重子に依頼したのは内藤頼博

水谷八重子に声をかけたのは内藤頼博でした。

内藤頼博は顔が広かったのです。彼は知り合いの新劇の関係者に頼んでカメラマンとともに新劇の劇場に行き直接交渉しました。

楽屋に最高裁判所の幹部がやってきたら驚くかもしれません。

でも水谷八重子は快くモデルを引き受けました。その場にいた子役にも出てもらって、母と子の写真を撮影。これをもとにポスターの絵が描かれました。

ラジオにも出演

宇田川はラジオにも出演しました。

インターネットはなく、今ほどテレビが普及していなかった昭和20年代後半。ラジオは最も宣伝力の強いマスメディアでした。

宇田川と市川四郎(汐見圭のモデル)はNHKで紹介してもらおうと考えました。そこでNHKの人気アナウンサー・藤倉修一が来る料亭の情報を入手。料亭で待ち伏せして藤倉と会い、事情を説明しました。するとNHKに出演が決まりました。

村岡花子と対談

NHKラジオ「婦人の時間」で家庭裁判所が特集されました。
このときの司会は翻訳家で児童文学家の村岡花子。ドラマ「花子とアン」のモデルになった人物です。

「花子とアン」で花子を演じた吉高由里子さんがラジオの司会者役で出演していれば話題になったかもしれませんが。大河ドラマ「光る君へ」に紫式部役で出ているので無理ですよね。

もちろんラジオのゲストは宇田川潤四郎。

番組では村岡花子と宇田川潤四郎が対談する形で行われました。

番組の中で宇田川は裁判所がどういうものなのか丁寧に説明。「愛の裁判所」と繰り返しうったえかけました。

村岡花子は家庭裁判所の調停委員も務めたことがあります。家裁のことは詳しいです。でも家裁のことはよく知らないふりをして宇田川に質問する役を演じました。

ドラマでは滝川とともに寅子も出演していますが。残念ながら三淵嘉子は出演していないようです。

コンサートは?

ドラマでは愛のコンサートが企画されていますが。さすがに史実ではそこまでは行なっていません。

「虎と翼」は令和の現代人がテレビドラマで見て面白いようにアレンジしてあるようです。

でも家庭裁判所の企画立ち上げから、建物の用意、人材集め、広報、実際の業務の開始。とこれだけのことを第二次世界大戦が終わってわずか4年。昭和24年(1949年)に行なっているのです。

現代の私達には考えられないくらいのスピードで次々とアイデアを実現するこの時代の人たちのたくましさには驚かされます。

 

参考書籍

 

 

 

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