久藤頼安(くどう よりやす)は NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「虎に翼」の登場人物。
演じるのは沢村一樹さん。
久藤頼安は裁判官を目指すヒロイン 佐田(猪爪)寅子に協力する人物として登場するようです。
久藤頼安のモデルになったのは裁判官で最高裁秘書課長、家庭裁判所の設立にも協力した内藤頼博と思われます。
ドラマ「虎に翼」の 久藤頼安とはどのような人物でしょうか。
久藤頼安のモデルになった内藤頼博について紹介します。
ドラマ「虎に翼」の久藤頼安とは
名前:久藤頼安(くどう よりやす)
演:沢村一樹
太平洋戦争終了後、寅子は家族を支えるため裁判官の道を目指しました。当時はまだ女性が裁判官になれる道はできてきませんでしたが。そんな寅子に協力する人物が久藤頼安です。
とても気さくな性格ですが、旧久藤藩藩藩主の家柄というお坊ちゃん。
日米開戦前にアメリカの裁判所に視察に行ったこともあるアメリカ通。
裁判官で司法省に出向中。
役職は民事局民法調査室主任。
自分で「ライアン」と名乗る変わり者です。
ちなみにライアンは「頼安」の音読みです。
久藤頼安のモデルは内藤頼博?
久藤頼安(くどう よりやす)のモデルと思われるのは名前や旧藩主の家柄。戦前にアメリカの裁判所を見たことがあるという内容から想像すると内藤頼博に間違いないでしょう。
久藤頼安は昭和の裁判官で弁護士。
身長175cm。当時の日本人にしては背の高い人物です。
鼻が高く役者のような二枚目でした。
旧高遠藩主の家柄に生まれた「殿様判事」
明治41年(1908年)、東京で生まれました。
内藤頼博の家は信州高遠藩の藩主の家柄。祖父の内藤頼直は高遠藩の最後の藩主。
戦前は子爵でした。頼博は内藤家の当主になったので子爵の爵位をもっています。
内藤頼博は東京帝国大学法学部を卒業。判事になりました。
内藤頼博は江戸時代ならお殿様ですし、戦前は子爵の爵位をもっていました。そのため「殿様判事」のあだなが付けられていました。
アメリカ視察
太平洋戦争の直前。昭和15年(1940年)に司法省の仕事でアメリカの家庭裁判所を視察しました。その後、日米開戦になったため。アメリカの裁判所を知る貴重な人物でした。
裁判所法改正、家庭裁判所設立に協力
戦後は 司法省民事局第三課長になり裁判所法の改正に関わりました。
家庭裁判所の設立にはアメリカの最高裁判所を知る内藤頼博の知識が役に立ちました。
家庭裁判所設立メンバーの責任者で家庭局局長の宇田川潤四郎と親しく、彼とは家庭裁判所のあるべき姿をよく語り合ったと言います。終戦直後の時代にアメリカの家庭裁判所を直接見た人はいません。
宇田川や嘉子たちが作ろうとしている家庭裁判所はアメリカの最高裁判所をモデルにしていますから、内藤頼博の知識が役に立ったようです。
その後、内藤頼博は東京家庭裁判所長、広島高等裁判所長官、名古屋高等裁判所を努めました。
弁護士として活動
昭和48年(1973年)に退官。その後は弁護士として活動しました。
多摩美術大学理事長や学習院院長も努めています。
平成12年(2000年)。老衰のため死亡しました。享年92歳。
ドラマとの違い
今のところ久藤頼安がどのように寅子と関わっていくのかはよく分かりません。
三淵(当時は和田)嘉子が裁判官になりたいと裁判所に押しかけた時、対応をしたのが人事課長だった石田和外(桂葉のモデル)。困った石田和外は東京控訴院院長の坂野千里に相談。坂野の紹介で嘉子は司法省民事局で働き、民法の改正作業に立ち会うことになります。
内藤頼博はこのときは関わっていません。
後に嘉子が家庭局に配属され、家庭裁判所設立に向けて活動しているときに協力することになります。
ドラマの久藤頼安は内藤頼博の他に坂野千里や司法省民事局長も兼ねてるようです。登場人物を減らしてドラマをわかりやすくしたのかもしれません。
参考書籍
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