槙野ヒサ(まきの ひさ)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。
演じるのは広末涼子さん。
主人公・槙野万太郎の母親です。
幼い万太郎に強烈な印象を残し植物を知ろうとするきっかけを与えた重要な人物として描かれます。
でも病弱で第一週目でいなくなってしまいます。
槙野ヒサのモデルになった人物は牧野富太郎の母・牧野久寿です。
ドラマ「らんまん」の槙野ヒサ(まきの ひさ)と、彼女のモデルになった牧野久寿(まきの くす)を紹介します。
ドラマ「らんまん」の槙野ヒサとは
名前:槙野ヒサ(まきの ひさ)
演:広末涼子
NHK大河ドラマ「武蔵」「龍馬伝」に出演。
本人も高知県出身。高知県立牧野植物公園には何度も行ったことがあるそうです。四国では牧野富太郎は学校の授業で習うくらい有名です。
主人公・槙野万太郎の母。
牧野家に嫁入りして万太郎を出産。
長女の綾はヒサの生んだ子ではありません(複雑なおいたちがあります)。
登場したときにはすでに病で寝込んでいます。
夫・喜平はコレラにかかり他界。そんなときに生まれたのが万太郎。
寝込んでいるため子育てができず負い目に感じているところはありますが。そんなところは見せず。子どもたちにはいつも笑顔で接しています。
子供がほしくて毎日裏山の神社にお参りに行き、それで生まれたのが万太郎というエピソードが語られます。
その神社の敷地に生えていた白くて小さな花(バイカオウレン)はヒサの好きな花。万太郎はその花を絵に描いてヒサに届けました。
しかしヒサは第一週目で亡くなってしまいます。
ドラマでは母が好きだった花の名前を知りたい。それが万太郎が植物研究に目覚めるきっかけとして描かれます。登場回数は短いながらも万太郎の人生に影響を与える重要な人物です。
牧野久寿(まきの くす)
慎野ヒサのモデルになったのは植物学者・牧野富太郎の母・牧野久寿(まきの くす)です。
牧野久寿は土佐国佐川村(高知県高岡郡佐川町)の生まれ。実家は代々造り酒屋をいとなむ岸屋。
父は岸屋の主・小左衛門(富太郎の祖父)
富太郎の祖母として知られている浪子は小左衛門の再婚相手。久寿の生母は亡くなっているようです。
牧野家には男子がいなかったので親戚から佐平が婿養子になって久寿と結婚。
1862年(文久2年)。長男・成太郎(せいたろう、後の富太郎)が生まれました。
成太郎は一人っ子です。
成太郎が3歳のとき佐平が病死。
成太郎が5歳のとき久寿が病死。
佐平も久寿も30代の若さでの他界でした。
成太郎が6歳のとき小左衛門が病死。
1860年代の日本ではコレラが流行りました。コレラは発病するとすぐに死ぬのでコロリと恐れられました。
1853年にペリーが浦賀にやってきました。その後、開国。
すると外国から人がやってきます。人が移動すると当然、病気も移動します。開港されたのは一部の港で外国人居留地は限られるとはいえ。外国人から日本人への感染。日本人が移動しての国内感染は起こります。
意外なようですが土佐は海外の情報も入っていました。土佐藩は長崎に拠点をもっていますし、武士・商人・学者は各地に行ったり来たりします。ジョン万次郎を土佐に連れてきて取り調べを行なったり(その記録を坂本龍馬が見て外国のことを知った)。意外と各地との行き来があるのです。地方だからといって安全とはいえません。
しかも治療法はほぼありませんから。地方でコレラが発病すると手のうちようがありません。1860年代の日本は外国からやってきた疫病に苦しめられた時代でした。
牧野家で残されたのは祖母の浪子と成太郎だけでした。
浪子は悪いめぐり合わせを断ち切ろうと成太郎を富太郎に改名しました。当時は不幸なことがあると子供の名前を替えることはありました。
牧野富太郎は幼いころに両親と死別したので、両親の記憶がありません。自叙伝によれば富太郎は母の顔も、何も記憶に無いそうです。6歳で母と死別したときには悲しかったでしょう。でもあえて言わないようにしているのか。本当に忘れたのか。意識しないようにしているのかわかりません。
現実の牧野富太郎はドラマの万太郎のような母との思い出を語ったことは一度もありません。でもそのぶん両親のかわりとなって富太郎を育てたのは祖母の浪子でした。
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