MENU

虎に翼:寅子が反対する 少年法対象年齢引き下げ とモデルになった出来事

虎に翼

NHK朝ドラ「虎に翼」では「少年法の改正」が問題になってきました。

検察や法務省は少年犯罪の凶悪化が進み、少年法の対象年齢を20歳未満から18歳未満に下げようとしています。

ドラマの佐田寅子たち家庭裁判所や弁護士たちは反対。

史実でも同じことがありました。

寅子のモデルになった三淵嘉子も法制審議会の委員になり少年法改正の議論に参加しています。

この記事では、ドラマのモデルになった史実を紹介します。

目次

少年法改正までのいきさつ

少年犯罪の凶悪化

1960年代。日米安保反対など学生運動が活発化。

昭和44年(1969年)。全共闘の学生たちが東大の安田講堂を占領し、日本各地でも学生運動が活発化。ベトナム戦争が始まるとそれに便乗した大学生や高校生の暴力的活動も活発になりました。

同じ事件を起こした大学生でも20歳以上なら逮捕されて警察の取り調べを受け裁判を受ける。20未満なら家庭裁判所に送られるだけ。

検察はその対応の差が不満でした。

そこで対象年齢を引き下げようというのです。

三淵嘉子が法制審議会の委員になる

そこで昭和45年(1970年)。国の法制審議会で少年法の対象年齢引き下げが話題として持ち上がりました。

「法制審議会」とは新しい法律を作るときに基本的な部分の話し合いをする場です。そこで話し合われた内容をもとに法務省が法案を作ります。

裁判所、検察庁、日本弁護士連合会から委員が選ばれました。委員の数は48人。

三淵嘉子も家庭裁判所の代表として委員になりました。三淵嘉子とともに家庭裁判所の立ち上げに関わった人たちも委員になりました。

結果が決まってる会議に反発

問題になったのは少年法の対象年齢を「18歳未満」に引き下げることです。

18歳と19歳を20歳以上の大人と同じように警察で取り調べて裁判できるというもの。

ところが法制審議会では、法務省がいきなり年齢を引き下げた案を「改正要綱」として出してきました。

どういう法律を作るべきかを話し合う場なのに、最初から結論が決まっている。

当然、家庭裁判所や弁護士たちは反発しました。

引き下げ反対の決議文

そんな出来事があった当日。

東京裁判所所長 宇田川潤四郎、三淵嘉子、糟谷忠男、守屋克彦は「最高裁判所長官」あてに少年法引き下げ反対の決議文を作って提出しました。

宇田川潤四郎は病になり審議を見届けることができず、あとを三淵嘉子たちに託しました。

宇田川潤四郎は多岐川幸四郎のモデルになった人物です。

当時の最高裁判所長官は「石田和外」でした。

石田和外は当時、強行な人事を行って批判を浴びていたのですが、意外にも少年法引き下げには反対していました。

石田和外は桂場等一郎のモデルになった人物です。

法制審議会少年法部会が始まる

6年以上続いた会議

法制審議会での少年法改正の話し合いは6年半続きました。1,2ヶ月に1回のペースで行われ、70回近い会議が行われました。

そのほとんどに三淵嘉子は出席しました。

三淵嘉子はその会議の中で自分の経験もふまえながら様々な発言をしました。法律の内容だけではありません。少年への支援のしかた、家庭裁判所の存在意義など。現実に家庭裁判所で働いた人ならではの意見がたくさん出ています。

三淵嘉子の話し方はかなり独特だったようです。きれいな声でにこにことしながら丁寧に相手に伝わるように話したようです。

感情に任せてまくしたてたり、偉そうな態度で屁理屈をいう人ではなかったのです。

「虎に翼」の寅子とはイメージが違いますね。ドラマの中では久藤頼安の雰囲気に近いのかもしれません。

でもおだやかなだけではありません。

検察側の意見を代表する委員に法務省特別顧問の小野清一郎がいました。この人はかなりの論客で、議論したら誰も敵わない相手。

三淵嘉子の仲間も小野清一郎相手には論破されて黙ってしまう手強い相手でした。

そんな小野清一郎が相手でも、三淵嘉子は直接会って話したり。会議の場でやりあっていました。

三淵嘉子は発言を延々と長引かせるタイプではなく、しばらく自分の考えを話すとスパッと切り上げてしまい。相手に反論させる機会を与えない。という作戦をとったようです。

ドラマと本物は大違い?

「穏やかで優しそうでいて、説明が上手」なタイプは朝ドラのヒロインにはあまりいません。

脚本家や演じる側に相当な力量がないと穏やかでも説得力ある場面にはなりません。

それよりは感情をぶちまけたり正論を言う方が演出は楽ですし、テレビ的な絵にはなるでしょう。史実の三淵嘉子の雰囲気の再現は難しいかもしれませんね。

もしかすると今後、寅子もイメージが変わってくるのでしょうか。

少年法引き下げの問題点

三淵嘉子たち家庭裁判所の人たちは、なにも未成年を甘やかそうというのではありません。むしろ引き下げない方が社会のためになると考えていました。

逮捕されても野放しになる

昭和45年当時。刑法犯の31%が「起訴猶予」になっていました。逮捕された人の3割近くが裁判もなく、刑も受けないまま釈放。社会に戻っているのです。

それに対して家庭裁判所では審判不開始は3.8%。つまり96%以上が調査を受けて指導をうけています。

単純に少年法を引き下げただけだと。3割近い人が捕まっても何の対策もないまま釈放されて野放しになってしまう。反省もせず、責任をとることもなく、償いもない。ただ放置されるだけになる。その方が無責任だというのです。

調査官の存在

家庭裁判所には調査官がいます。家庭裁判所に来た人を問題なのか調べるひとです。犯罪を犯しても本人だけに問題があるとは限りません。

家庭、人間関係、職場など様々な問題があります。それを調べて、問題を起こさないように対策するのが家庭裁判所だと三淵嘉子は訴えました。

それに対して法務省の案では容疑者が罪を犯したかどうか調べるだけです。再発防止にむけての取り組みはありません。

他にも様々な議論があったようです。

少年法対象年齢引き下げは見送り

6年半の議論の結果。

昭和51年(1976年)法制審議会少年法部会は「中間報告書」をまとめました。

その中で、少年法の対象引き下げは撤回されました。

検察官の審判への出席が認められました。

検察が家庭裁判所の業務に介入できることにはなりましたが。少年法の対象年齢引き下げそのものは阻止する事ができました。

 

少年法の引き下げについては検察側にも言い分はあるでしょうし。1970代と今では状況も違うでしょう。

少なくとも当時の三淵嘉子たちにとっては、自分たちの方が社会の為になるという信念があったようです。

史実では以上のようなやりとがあったわけですが。「虎に翼」ではどのようなやりとりがあって、どういう結果になるのでしょうか?

 

 

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次