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ブギウギ:喜劇王タナケンのモデル・エノケンと笠置シヅ子の関わり

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タナケンは NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」の登場人物。

演じるのは生瀬勝久さん。

タナケンのモデルは昭和の喜劇王・エノケンこと榎本健一。

榎本健一と笠置シヅ子は舞台で共演したことがあります。それだけではありません、笠置シズ子にとって榎本健一は演劇の師匠でした。

ドラマ「ブギウギ」の タナケンとモデルになったエノケン(榎本健一)について紹介します。

目次

ドラマ「ブギウギ」のタナケンとは

名前: 棚橋健二(たなはし けんじ)
演:生瀬勝久(なませ かつひさ

大人気の喜劇役者。
通称タナケン。日本を代表する喜劇役者で「喜劇王」と呼ばれます。

劇と歌を組み合わせた舞台を勤められる女優を探していたところ。舞台の音楽担当・羽鳥善一を通してスズ子のマネージャーに依頼があり。スズ子はタナケンの舞台に出ることに。ところがやって来たスズ子を見てもタナケンは興味なさそうな雰囲気ですが・・・

福来スズ子と舞台で共演。
スズ子の演劇の師匠になります。

 

タナケンを演じるのは生瀬勝久さん

タナケンを演じるのは俳優の生瀬勝久(なませ かつひさ)さん
兵庫県西宮市出身。1960年生まれ。

様々なドラマ・映画・バラエティ番組など活躍。

連続テレビ小説
「純ちゃんの応援歌」興園寺清彦
「まんてん」 花山圭介
「べっぴんさん」 坂東五十八
「おちょやん」 長澤誠

大河ドラマ
「花の乱」 上月左近将監
「毛利元就」 井上春忠
「元禄繚乱」 多門伝八郎 
「新選組!」 殿内義雄役
「功名が辻」 堀尾吉晴
「龍馬伝」 吉田松陰
「八重の桜」 勝海舟 

 

喜劇王エノケンと笠置シズ子

タノケンのモデルになったのは喜劇王エノケンこと榎本健一

昭和の喜劇王エノケン

エノケン(榎本健一)は日本を代表する喜劇役者です。

榎本健一は明治37年(1904年)生まれ。

もともとはオペラ歌劇団のコーラス部員、このころは端役でした。このころからユーモアのセンスを発揮していたといいます。関東大震災後。オペーラ・ブームが終わるとサイレント映画俳優になりました。その後、演劇や舞台に出演。

昭和18年(1932年)エノケン一座を設立。戦後は映画に出演。全国的に知られた喜劇俳優になりました。

エノケンは有名人なので様々なところで紹介されています。ここでは詳しい紹介は省略して、榎本健一と笠置シズ子の関わりを紹介します。

シズ子は戦前からスヰングの女王として知られてはいましたが。戦時中は地方での活動が中心。戦後、東京での芸能活動を再会。その活躍の場は歌ではなく演劇でした。

笠置シズ子とエノケンの共演

笠置シズ子とエノケン(榎本健一)の出会いは昭和21年(1946年)。戦争が終わってまだ半年。
いきさつはよくわかりませんが榎本健一のプロデュースでエノケンと笠置シズ子が舞台で共演が実現しました。

笠置シズ子は日本で最初の見せる歌手。舞台が楽しい歌手。歌って踊り、身振り手振りで観客を楽しませる才能がありました。そんな笠置シズ子に榎本健一は注目していたようです。

とはいえシズ子は歌手。日舞や歌劇を練習したことはありますが専門の役者ではありません。

榎本健一は舞台の稽古で
「君は歌手で役者ではないから芝居のツボがはずれている。しかしそれがまた面白い効果を出しているので、改める必要はない。僕はどんなにツボをはずしても、どこからでも受けやるから、どこからでもはずしたまま突っ込んでこい」
とアドバイス。

シズ子は榎本健一のアドバイスどおり全力でぶつかりました。榎本健一もシズ子のツッコミを絶妙なボケで受け止めます。

昭和21年(1946年)。笠置シズ子は「舞台は廻る」で榎本健一と初共演。

シズ子と榎本健一の舞台は大人気になりました。

この舞台で音楽を担当した服部良一は「かねがね僕は日本のボードビリアン(芸人)として男性では榎本健一、女性では笠置シズ子が一番だと思っている」と評価しました。

このころはまだ「東京ブギウギ」もなく、笠置シズ子はブギの女王ではありません。笠置シズ子は「ブギの女王」よりも先に「喜劇女優」になっているのです。

その後、シズ子は出産のため一時休業。復帰後は東京ブギウギなどが大ヒット。忙しい毎日を送ります。でもその後も榎本健一との共演は続けました。

榎本健一の寄稿によると。他の女優は気取ったところや作ったところがあるが、生でぶつかってくる笠置シズ子は榎本健一にとっても演じやすい役者だそうで。女優と共演するなら笠置シズ子が一番と証言しています。二人の相性はよかったようです。

昭和25年(1950年)。ところが榎本健一は舞台での怪我と不摂生で右足が脱疽症(壊死)になりました。それでも手術を拒み活動を続けました。

シズ子がエノケンの代役になる

昭和27年(1952年)。榎本健一は巡業中の広島で脱疽症が再発して入院。

でも舞台に穴を開ける訳にはいきません。榎本健一は笠置シズ子を代役に指名しました。自分の代役を務まるのが笠置シズ子しかない。シズ子なら引き受けてくれると思ったようです。

このころ笠置シズ子は歌手として多忙な生活を送っていました。でも連絡をうけたシズ子は代役を引き受け、先生と慕う榎本健一のために広島にやってきてました。

公私共に深い付き合い

笠置シズ子と榎本健一は公私共に深い付き合いがありました。

シズ子は娘のヱイ子をつれて榎本健一の家に遊びに言ったり、榎本健一もシズ子の誕生会に招待されたこともあります。シズ子が九州で親しくなった戦災孤児を榎本健一が引き取って育てました。榎本健一は身寄りのない子供を引きとって学校に通わせるなどの活動をしていたのです。

世間では榎本健一を「エノケン」と呼びますが。笠置シズ子は「エノケン」と愛称で呼んだことはなく「榎本先生」と呼んでいました。

さすがの「エノケン」も「榎本先生」と呼ばれることには照れてしまったようです。

晩年のエノケン

しかし榎本健一は晩年に脱疽症が再発して右足を切断。長男が病死。妻とは離婚するなど不幸が続きました。それでも舞台に立ち続けました。やがて肝硬変が悪化。

昭和45年(1970年)に亡くなりました。

演劇の師匠

笠置シズ子には師匠が何人かいます。ひとりは音楽の師匠・服部良一。もう一人が演劇の師匠・榎本健一です。

シズ子は1950年代終わりごろから歌手「笠置シ子」としての活動をやめて女優「笠置シ子」に名前を変えて再出発します。体力に限界を感じて若い頃のように踊れなくなったからといいます。でもその決断の裏には役者としてもやっていけるという自信があったからでしょう。

女優としての笠置シヅ子は映画やドラマに出演。テレビドラマのお母さん役や歌番組の審査員を勤めて人気になりました。

榎本健一と共演したのは戦後の短い間でした。それでも笠置シズ子は一時期「女エノケン」と言われるほど喜劇役者でも成功しました。榎本健一との出会いがなければ役者としての笠置シヅズ子は成功しなかったかもしれません。

榎本健一は歌手とは違う笠置シズ子のもう一つの一面を引き出したのかもしれません。

 

参考書籍

ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど (潮文庫)

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砂古口 早苗
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笠置シヅ子 その言葉と人生

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四條 たか子
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