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オーギョーチと牧野富太郎が名付けた台湾の植物の関係とは?

らんまん

2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の第22週ではサブタイトルが「オーギョーチ」になっています。

「らんまん」はサブタイトルは草花の名前になっているのが特徴。

ということは「オーギョーチ」という草花があるのでしょうか?だとしたらいったいどのような植物なのでしょうか。

ドラマの中では槙野万太郎は台湾に行くことになっています。モデルになった牧野富太郎も台湾に行っているのでしょうか?

オーギョーチと牧野富太郎、台湾の関係について紹介します。

目次

オーギョーチとは

オーギョーチは漢字で「愛玉子」と書きます。

日本語では「あいぎょくし」
台湾語では「オーギョーチ(ò-giô-chí)」と発音。

オーギョーチはアイギョクシイタビという植物の果実からとれるゼリー状の食べ物です。

この寒天状の食べ物を台湾では愛玉子(オーギョーチ)と呼びます。日本では愛玉子ゼリーとも言います。台湾ではよく食べられるものでタピオカの店で売られていることもあります。

現在ではネット通販でも手に入ります。

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オーギョーチを作る植物は日本では「アイギョクシタビ」と言い。愛玉子(あいぎょくし)やカンテンイタビということもあります。

アイギョクシイタビ(愛玉子)

このオーギョーチの原料になる植物は和名で アイギョクシイタビといい。愛玉子、カンテンイタビということもあります。

クワ科イチジク属の植物です。

アイギョクシイタビににたオオイタビは日本や東南アジアにも生えていますが。アイギョクシイタビは台湾だけに生えています。

実の大きさは7~12cmくらい。イチジクのような外見のものもあれば細長い瓜のようなものもあります。

常緑樹なので一年中葉がついています。

アイギョクシイタビ

出典:wikipedia

 

 

牧野富太郎の台湾訪問

明治27年(1895年)~明治28年(1896年)に日清戦争が行われ。日本が勝利。
明治28年(1895年)の下関条約が結ばれました。その条約で清は日本に台湾を割譲。台湾は日本の領土になりました。

明治29年(1895年)。東京帝国大学から、植物調査のため牧野富太郎に台湾への出張命令が出ました。牧野富太郎は東大の学生・大渡忠太郎、小石川植物園の技官・内山富次郎とともに台湾に向かいました。

牧野は護身用に横浜でピストルを買って持っていきました。

というのも当時は日清戦争が終わってまだ1年。日本への割譲に反対する清朝の役人が現地人を扇動して日本に抵抗していたこともありました。明治29年(1895年)には組織的な抵抗は収まっていましたが。まだ油断はできません。日本国内ほど治安がいいとはいえなかったのです。

そんな時期に早くも植物研究の調査団を派遣しようというのですから驚きです。

10月10日。牧野たちは横浜から西京丸で神戸に向かい、神戸から定期船の小倉丸に乗って台湾の基隆に向かいました。

台湾では基隆、台北、新竹、淡水河、打狗鳳山などを回り植物を採集しました。

帰国後。大渡忠太郎は「植物学雑誌」に「台湾植物探検紀行」を掲載。現地の植物を紹介しました。このとき紹介された名前が現在でもいくつも使われています。大渡忠太郎はこのあと、東京大学を卒業後。第六高等学校(現在の岡山大学)の教授になりました。

牧野富太郎は台湾で植物採集は行っていましたが。帰国後は特に報告は出していません。牧野富太郎が持ち帰った標本の多くは後に他の研究者によって研究されました。

牧野富太郎は外国には行ったことはありませんが。日本統治時代の台湾と満州には行ったことがあります。

牧野富太郎の目的は日本列島の植物を明らかにすること。膨大な標本を集めて研究している牧野富太郎にとっては、海外の植物研究に費やす時間はほとんどなかったのです。

そんな牧野富太郎も数少ないながらも台湾の植物に学名を付けたことがあります。

それが愛玉子、アイギョクシタビ(オーギョーチ)です。

牧野富太郎とアイギョクシタビ

明治37年(1904年)。牧野富太郎は植物学雑誌に 愛玉子を発表。日本に紹介しました。

アイギョクシタビ(愛玉子)の学名は Ficus pumila var. awkeotsang (Makino) Corner

そのため牧野富太郎が明治29年に台湾に行ったときにアイギョクシタビを発見して名前を付けたと言われることがあります。

ところが、このとき牧野富太郎が論文を書くときに使った標本は明治37年(1904年)に博物学者の田中芳男が台湾の嘉義で採取した葉っぱの標本を使っていました。

牧野富太郎が最初に東京に出てきたときから田中芳男とは交流があります。いつどのようにして田中芳男の採取した植物が牧野富太郎の手に渡ったのかはわかりません。

もしかすると牧野富太郎も明治29年に台湾でアイギョクシタビを持ち帰ったのかも知れません。でも論文を書くときに使った葉の標本は牧野が採取したものではありません。この標本は現在東京都立大学牧野標本館に収められています。でも現在残っているのは葉の標本だけです。論文には花も載っています。葉の標本以外の部分もあったのは確かです。

花の標本はいつ誰が採取したものなのか今となってはわかりません。謎です。

 

参考文献

牧野富太郎の植物学 (NHK出版新書 696)

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田中 伸幸
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