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らんまん:里中芳生のモデル 田中芳男は「日本の博物館の父」

らんまんアイキャッチ

里中芳生(さとなか よしお)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。

演じるのはいとうせいこうさん。

里中芳生(さとなか よしお)のモデルになった人物は、「日本の博物館の父」の父といわれる田中 芳男(たなか よしお)です。
漢字でかくとほぼ見分けがつかないくらい似ています。

ドラマ「らんまん」に登場する里中芳生と、彼のモデルになった田中 芳男を紹介します。

目次

ドラマ「らんまん」の里中芳生(さとなか よしお)とは

名前:里中芳生(さとなか よしお)
演:いとうせいこう

万太郎が憧れている植物学者。 

万太郎が子供の頃に模写していた「植物図」を野田基善とともに作った人。

東京の博物館で働き。訪問してきた万太郎をあたたかく迎えます。熱心に植物学を学ぼうとする万太郎を歓迎。標本や顕微鏡を見せました。日本では植物学が確立されておらず植物学の研究が未発達なこと。植物学の基礎。日本人が新種の名付け親になるためにも標本集めが大事なことを教えました。

 

里中芳生のモデル田中 芳男(たなか よしお)とは

田中 芳男(たなか よしお)は天保9年8月9日(1838年9月27日)生まれ。

幕末から明治にかけての博物学者。
動物学、植物学、農学、園芸など幅広い分野で活躍しました。

博物館「日本の博物館の父」と言われます。

明治期の日本は自然科学や経済・政治その他の分野でも欧米に遅れていました。日本には制度はもちろん、専門用語すらありません。そこで明治の人々は欧米の専門用語を日本語に翻訳。漢字の専門用語が誕生しました。明治期に大量に翻訳された専門用語(和製漢語)は日本以外の漢字文化圏でも使われました。現在、中国や韓国で使われている自然科学分野、政治、経済の多くの専門用語が日本生まれです。

田中芳男は博物学や分類学の分野で翻訳語を作成普及させた人物の一人です。市川清流が考案した「博物館」という和製漢語を町田久成とともに普及させました。

また東京国立博物館や上野動物園の設立にもかかわりました。パリ万博やウィーン万博での日本の出展にも貢献。殖産興業や啓蒙活動に努めました。

田中 芳男の一生

信濃国の旗本千村氏の典医を務める医師田中隆三(如水)の三男として生まれた。蘭学を学んだ親の影響で医学や本草学、舎密学(化学)などに興味があり勉強しました。

尾張藩御典医の伊藤圭介の弟子になり。医学のほか博物学や本草学を学びました。その後は伊藤圭介とともに幕府で働くことになり物産学・本草学の研究を担当しました。シーボルトとも会ったことがあります。

幕府が参加したパリ万国博覧会では、昆虫標本の製作を担当。標本にする虫を集め、標本にして出品。パリにも行きまいした。

その後、明治になると大阪城跡地に理化学専門の高等教育研究機関「舎密局」の開設に関わりました。

その後、物産局を創設。この組織が後の勧業寮、農商務省、農林省・商工省、通産省となり。現在の「経済産業省」になります。

産業を発展させるため博覧会の開催をてがけました。

その後も、博物館、動物園などをもつ公園の設立に尽力。

上野博物館・上野動物園の建設にも町田久成たちとともに関わりました。

田中芳男は「動物学初篇哺乳類」を編纂。この書籍で、class「綱」、order「目」、family「科」、genus「属」、species「種」の訳を使いました。これが現在でも動植物学の専門用語として定着しています。

その後、駒場農学校の設立に関わり。大日本農会、大日本水産会、大日本山林会を創設。日本の農学と農林水産業の発展に貢献しました。

晩年には貴族院勅選議員にもなりました。

大正5年(1916年)6月22日死去。

生涯、農林水産業や博物学の発展や普及に努力した人物です。

 

牧野富太郎との関わり

明治41年(1881年)。東京で第二回国内勧業博覧会が行われました。牧野富太郎は高知から東京にやってきました。

牧野富太郎の目的の一つに高知で見た「博物図」の執筆者「田中芳男」や「小野 職愨(おのもとよし)」に会うことでした。

田中芳男は第一回国内勧業博覧会の局長も務めました。

当時の田中芳男は博物局(文部省の中にある組織)天産物長。小野 職愨は田中の部下です。

田中芳男は高知からやってきた牧野富太郎を暖かく出迎え、小野 職愨たち部下に命じて博物局内を案内しました。

田中芳男や小野職愨たちは毎日のようにやって来る牧野富太郎をうるさがらずに相手して、「土佐植物目録」を作っているという牧野富太郎を励まし、植物標本の作り方や文献についての様々なアドバイスをしました。さらに東京大学の植物学教室や小石川植物園も案内させました。牧野富太郎は大学の標本を見せてもらい感激しました。

東京での体験は牧野富太郎を非常に感激させ。富太郎が植物学にますますのめり込んでいくきっかけのひとつになります。そしておしげもなく知識を教えてくれ親切にしてくれる研究者に憧れ、彼らは自分の理想の姿、自分もああなりたいと思うようになります。

でも牧野富太郎が見たのは研究者の一部でした。後に東京大学に入り大学の研究者と一緒に研究するようになると、研究者は親切な人ばかりではない。傲慢な人がいたり、自分の権威や地位を脅かすものには容赦がない陰湿な世界もあるというのを知るのですが。このころの牧野富太郎はまだ知りません。

牧野富太郎に「研究者は素晴らしい立派な人」というイメージを与えたのが田中芳男や小野職愨たちでした。

 

朝ドラ「らんまん」槙野万太郎たち登場人物・キャストを紹介

 

 

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