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らんまん:早川逸馬とはどんな人?モデルは?自由民権運動って何?

らんまん

早川逸馬(はやかわ いつま)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。

演じるのは宮野真守さん。

人生に迷う万太郎に自由を熱く語ります。

早川逸馬にはモデルはいるのでしょうか?

万太郎は自由民権運動の場に居合わせることになりますが。現実の牧野富太郎も自由民権運動に関わった時期がありました。

ドラマ「らんまん」に登場する早川逸馬と、牧野富太郎と自由民権運動の関わりについて紹介します。

 

目次

ドラマ「らんまん」の早川逸馬(はやかわ いつま)とは

名前:早川逸馬(はやかわ いつま)
演:宮野真守

高知の自由民権運動家。
目立つ赤い羽織を来て町中で熱く自由について語ります。街頭で演説するので熱量はもちろん身振り手振りも派手です。

これからの人生をどうしようかと悩む槙野万太郎に自由とは何かを語ります。

そして万太郎と中濱万次郎(ジョン・マン)を引き合わせました。

万太郎は早川逸馬との出会いで自分のやりたい道へと突き進む決心をします。集会を開いていた早川逸馬は警察に捕まってしまいます。その後しばらくは登場しませんでした。

ドラマ終盤。東京で暮らす万太郎の前に早川逸馬が姿を表します。そして資金繰りに困っている万太郎に資産家の永守徹を紹介しました。

 

演じるのは声優で俳優の宮野真守(みやの まもる)さん。
アニメ「DETH NOTE」や「機動戦士ガンダム00」など人気アニメの主役。実写の「ウルトラマンゼロ」の声も担当。「ファンタスティックビースト」など洋画でも吹き替えを担当しています。俳優としても「半沢直樹」シリーズなどに出演。声優以外にも活躍の場を広げています。

 

早川逸馬のモデルはいる?自由民権運動

ドラマの中で自由民権運動を先導している早川逸馬は架空の人物。少なくとも当時の高知には似たような名前の人はいません。

日本中を探せば他の地域に似たような名前の自由民権運動家がいるにはいますが。ドラマオリジナルの人物と思ったほうがいいでしょう。

当時の高知では自由民権運動は盛んに行われていました。明治から大正時代にはこうした民間の運動家も大勢いて民衆の中にも活発な議論をする人がいます。むしろ現代人よりも政治への関心が高かった時代です。

もちろん早川逸馬のように運動の中心になる人物はいます。

明治の最初のころは議会もなく薩長土肥の新政府軍関係者が中心になって国の方針を決めていた時代。そこで政治に不満を持ち「人間は自由で、平等の権利を持つべきだ」と議会の開催や憲法の制定を求める活動が日本各地で起こりました。その活動を自由民権運動といいます。

自由民権運動には当時の政治に不満を持っていた士族や知識人、豪農、農民などが集まり活発な運動が行われました。

高知出身の板垣退助もその活動の中心人物。板垣は政府内での対立に不満を高めて後藤象二郎とともに高知に戻り、「立志社」という団体を作り自由民権運動を始めました。「立志社」からは植木枝盛や中江兆民たち自由民権運動家がでています。

後に板垣退助は大隈重信と一緒に「自由党」を作りさらに運動を拡大します。

当時の高知は自由民権運動が盛んで「自由は土佐の山間より」という言葉があるくらいでした。

各地には○○社という団体が作られ。高知市だけでなく地方の町でも盛んに運動が行われていました。牧野富太郎の暮らす佐川でも「公正社」という団体があり活発に活動していました。

植物だけでなく様々な書物を呼んでいた牧野富太郎は西洋の政治にも知識があったので公正社に入り活動に参加しました。

なんでも熱心にやらないと納得できないのは牧野富太郎の性格です。

明治14年(1881年)。牧野富太郎は自由党に入り、自由民権運動に熱中しました。警察がいる前でわざと騒いで一時的に留置場に入れらたこともあります。

そうして牧野富太郎と一緒に活動していた自由民権運動家をまとめたシンボル的な人物がドラマの早川逸馬といえそうですね。

ちなみに牧野富太郎と中浜万次郎が会ったという記録はありません。

自由民権運動をやめた牧野富太郎

一時期、自由民権運動に夢中になた牧野富太郎ですが。その後どうなったかというと。

活動を進めていく間に牧野富太郎は自分が本当にしたいことは何なのかに気が付きます。

富太郎がしたいのは政治的な活動ではなく、植物学を極めること。研究活動を通して世の中に貢献しようという気持ちの方が強くなりました。何より政治活動をしていたら大好きな植物の研究ができません。

富太郎は自由党を脱退することにしました。

富太郎は地元で開かれていた自由党の集会に出席。妖怪を描いた旗を作りそれをもって仲間とともに集会の場に行くと脱退を宣言。大声で歌って演説会をぶち壊してその場を去っていきました。ずいぶんと騒がしいことですが、そうすれば二度と富太郎を政治活動に誘うものはいないと考えたからです。

旗に描いた妖怪の絵は活動家そのものを表現しています。当時は考え方の違いから活動家のグループ同士の対立もありました。そうした人同士の争いをしていて本当に世の中のためになるのかと疑問に思ったのも脱退した理由のひとつでしょう。

富太郎はコソコソと逃げるようなことは好きではありません。辞めるからには派手に宣言しないと気がすまないのです。

政治活動をきっぱり止めた牧野富太郎は静かに植物の研究に集中するのでした。

ドラマの万太郎は人生に悩んで人から助言をうけて進む道を決めていますが。史実の牧野富太郎は自分で世の中を見て、これではいけないと思って自分で人生を決めていく。ドラマよりもアクティブな人物だったようですね。

もうひとつのモデルは?

ドラマ終盤。早川逸馬は東京で暮らす槙野万太郎と再会。資産家の永守徹を紹介します。

永守徹のモデルは資産家で美術品コレクターの池永孟(いけなが はじめ)です、

牧野富太郎に池永孟を紹介したのが大阪朝日新聞社の長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん)でした。

長谷川 如是閑とはどういう人物なのか。牧野富太郎や池永孟とはどういう関係があるのかについてはこちらの記事で紹介しています。

・早川逸馬のモデルは牧野富太郎に資産家を紹介した長谷川如是閑?

 

 

 

 

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