田邊聡子(たなべ さとこ)は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。
演じるのは中田青渚さん。
田邊聡子 の夫・田邊彰久のモデルは植物学者の矢田部良吉です。
ということはの妻です。田邊聡子のモデルは矢田部良吉の妻になりますね。
矢田部良吉の妻とはどういう人だったのでしょうか?
設定ではかなり若い奥さんのようです。モデルになった矢田部良吉も若い人と結婚していたのでしょうか?
ドラマ「らんまん」の田邊聡子とモデルになった人物を紹介します。
ドラマ「らんまん」の田邊聡子(たなべ さとこ)とは
名前:田邊聡子(たなべ さとこ)
東京大学植物学教室教授・田邊彰久の妻。
すでに大学教授の彰久に対して年齢の離れた若い奥さんです。
内気で控えめな女性。田邊家を訪れた槙野万太郎・寿恵子夫妻たちと出会って交流を深め、聡子も成長していきます。
演:中田青渚(なかた せいな)
朝ドラ初出演。
モデルは矢田部良吉の妻
田邊聡子 の夫・田邊彰久は植物学者の矢田部良吉がモデルですから。田邊聡子のモデルも矢田部良吉の妻ですね。
ところが矢田部良吉は生涯で2度結婚しています。
最初の妻・金沢録子
最初の妻は録子(1858-1887)
父は岐阜出身の医師の金沢良斎(永孝)
金沢良斎は勝海舟の主治医を務めた人物です。
1878年に矢田部良吉と録子は結婚しました。
矢田部良吉は1851年生まれですから 録子とは7歳違い。多少歳は離れているかもしれませんが、極端に年が離れているとまではいえません。
ところが1887年に録子は病死しました。29歳の若さでした。
その後。矢田部良吉は再婚しました。
再婚相手は柳田順:18歳年の差結婚
録子が亡くなったその年の12月。矢田部良吉は再婚しました。
再婚相手は柳田順(やなぎだ じゅん)
順は1869年生まれ。
矢田部良吉より18歳歳下です。
父は柳田直平
大審院判事(裁判官)
柳田順は東京高等女学校(現在のお茶の水女子大学)の学生。
矢田部良吉は東京高等女学校の校長も兼任していました。
矢田部は自分が校長を務める学校の元学生と結婚したのです。
矢田部良吉と結婚した時、順は18歳でした。矢田部良吉は当時36歳。18歳の年の差結婚です。
東京専門学校(早稲田大学)の校長も務めた政治家の鳩山和夫・鳩山春子夫妻が媒酌人を務めました。
民俗学者の柳田国男は順の姉妹と結婚しているので。矢田部良吉と柳田国男は相婿(妻同士が姉妹)になります。
矢田部良吉には少なくとも5人の子供がいます。
三男・矢田部俊二、四男・矢田部達郎(心理学者)、五男・矢田部勁吉(音楽家、国立音楽大学の創始者の一人)は順との間に生まれた子供です。
矢田部良吉と順の結婚がスキャンダル騒ぎに
西洋かぶれだった矢田部良吉
矢田部良吉はアメリカ留学経験もあり西洋文明を熱心に取り入れようとした人物です。
自分が校長を務める東京高等女学校の女学生を鹿鳴館のダンスに出席させたり、自分が踊ることもありました。これは政府の方針でもあるので矢田部の独断とは言えませんが。矢田部良吉は西洋かぶれで有名でした。
和歌や俳句ではない西洋式の詩を日本に広めようとしたり。ローマ字の普及にも熱心でした。現在の私達が作る詩は和歌や俳句ではありませんが。矢田部たちのような人々が日本人に自由な形の詩を広めたのです。
なのでただの西洋かぶれでではなく文化の発展にも貢献はしているのですが。西洋化を認めない人たちからは評判が悪かったのです。
教え子と結婚
さらに矢田部良吉は自分が校長を勤める女学校の生徒と結婚しました。
二人の結婚は政界の大物・鳩山和夫が媒酌人をつとめたように後ろめたい関係ではありません。関係者の間でも認められていました。
今でも教師と生徒の結婚はちょっとした話題になりますが。当時は話題どころか、とんでもない行為です。そのため根も葉もない噂が飛び交いました。世間ではスキャンダル扱いされました。
矢田部夫妻をモデルにした小説が出回る
須藤南翠(すどうなんすい)の書いた「濁世(じょくせ)」という小説が改進新聞に連載されました。
小説の「濁世」では東京貴婦人学校校長の刑部甞一(おさかべじょういち)と女学生の柳ヶ瀬順子(やながせ じゅんこ)が愛欲に身を任せて禁断の恋に落ちるという。当時としてはかなりスキャンダラスな小説。
刑部甞一 のモデルが矢田部良吉。
柳ヶ瀬順子 のモデルが柳田順子なのは間違いありません。
これを読んだ読者からは批判が巻き起こり。女子教育そのものを批判する風潮が広がりました。
それに対して矢田部良吉は改進新聞の発行元を名誉毀損で訴え。矢田部良吉は自分が校長を務める東京高等女学校で講演を行い。儒教的な価値観に縛らられた夫婦の関係を否定。女性の人権と教育の大切さを訴え、夫婦は対等であるべきと主張しました。
当時の西洋でも妻には良妻賢母が求められ、男女は平等ではありませんが。儒教の教えに染まった日本ほど差別的ではありません。
日本は今でもそうですが。古臭い儒教的な価値観が当たり前の明治時代では西洋的な価値観をもつ矢田部良吉は珍しい人物でした。
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