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らんまん:クララ・ローレンスのモデルはクララ・ホイットニー?

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クララ・ローレンスは2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。

演じるのはアナンダ・ジェイコブズ さん。

クララはアメリカからやって来て寿恵子に西洋のダンスや音楽を教えます。

クララ・ローレンスのモデルになった人物はいるのでしょうか?

どうやら参考になったと思われる人物はいました。

ドラマ「らんまん」のクララ・ローレンスとモデルになった人物を紹介します。

 

目次

ドラマ「らんまん」のクララ・ローレンスとは

名前:クララ・ローレンス

寿恵子の音楽・ダンスの先生。
アメリカ出身。舞踏会に出席することになった寿恵子にダンスを教えることになりました。万太郎との恋に悩む寿恵子に対してアドバイス。寿恵子が万太郎と結婚するのを後押しします。

 

クララ・ローレンスを演じるのは アナンダ・ジェイコブズ さん。

アメリカ出身で日本で活動する女優・シンガーソングライター
 大河ドラマ 八重の桜」
 NHK連続テレビ小説「まっさん」「べっぴんさん」等に出演。
 映画テルマエ・ロマエにも出演。

クララ・ローレンスのモデル?クララ・ホイットニー

クララ・ローレンスの直接のモデルかどうかはわかりませんが。キャラ設定の参考になったと思われる人物はいます。

それが クララ・ホイットニー です。

クララ・ホイットニーはアメリカの女性。
1860年8月30日生まれ。

父は学校の経営者

クララの父はウィリアム・コグスウェル・ホイットニー。アメリカで学校を開き校長をしていました。ところが経営がうまくいかずほぼ倒産に近い状態。

そんなとき駐米公使をしていた森有礼の招きで明治8年(1875年)に来日しました。森有礼は言語学者でクララの父のいとこウィリアム・ドワイト・ホイットニーと親交がありました。その縁で森有礼はクララの父のことを知り声をかけたのです。

クララの父・ウィリアムとしてはアメリカで経営がうまくいかずそこに声をかけられたものでわたりに船とばかりに飛びつきました。

母は熱心なキリスト教徒

クララの母アンナも日本に行きたがっていました。

アンナはアメリカ人ですがあまりキリスト教には熱心ではありませんでした。ところが夫の学校に入学した日本人の富田鉄之助に英語を教えていると、鉄之助から聖書を読んで欲しいとお願いされました。ところが当時のアンナは聖書はあまり読んだことがありません。鉄之助に言われて聖書を読んでみるとこれが素晴らしい内容だとわかり。すっかり熱心なキリスト教徒になってしまいました。

そのせいかアンナは「日本人にキリスト教を教えるのが自分の使命」と思い強く日本行きを希望しました。日本に来たのはウィリアムの意思というよりアンナの意思かもしれません。

母アンナの影響なのかクララも熱心なキリスト教徒でした。クララの日記にはいたるところに「主よ」と呼びかける場面があり。かなり信仰にハマっていたようです。

こうして父の仕事の都合と母の布教願望が重なって、ウィリアム一家は日本に来ることになりました。クララと兄ウィリスも一緒です。

日本に来たホイットニー一家

ウィリアム・コグスウェル・ホイットニーは森有礼が開設した商法講習所(現在一橋大学)の教師になり簿記を教えました。ウィリアムは所長のつもりで日本に来たようですが、なにかの行き違いもあり所長にはなれませんでした。ウィリアムはアメリカでの事業での失敗から心身ともに疲弊していたともいわれます。

このころ森有礼と親交のあった東京大学 植物学教室の教授・矢田部良吉もホイットニー家に出入りしていました。クララはホイットニー家に出入りする矢田部良吉を鬱陶しがっていたようです。大久保三郎とも会っています。

明治11年(1878年)。森有礼は清国大使になり、商法講習所は商法講習所が東京府に移管されることになりました。新しく校長になった矢野二郎とはうまくいかなかったり、幾つかの問題が重なり父・ウィリアムは解任されてしまいます。

そこで勝海舟がホイットニー家を援助しました。矢野二郎に商法講習所の校長になるように説得したのは勝海舟・大久保一翁(大久保三郎の父)ですから責任を感じんたのかも知れません。

ホイットニー家は勝海舟の別荘で暮らすことになりました。ウィリアムは津田仙が設立した銀座簿記夜学校で簿記を教えました。ウィリアム家は勝海舟の別荘で暮らしました。

ウィリスの留学のためホイットニー家は一端アメリカに帰国。

明治15年(1882)。再び日本に来る前にウィリアムは病死。クララは母アンナに連れられて再度日本にやって来ました。アンナは夫が死んでも日本に行こうとしたのですが。アンナは熱心なキリスト教徒でどうしても日本でキリスト教の布教をしたいと考えていたようです。

明治16年(1883年)。母アンナが病死。

明治17年(1884年)。浜離宮で開催された観桜会に招かれました。このとき明治天皇を見て「想像していたより、ずっとご立派」と日記に書いています。

明治18年(1885年)。西洋料理を日本に紹介する本「手軽西洋料理」を書いています。(日本語訳は津田仙、皿城キン)。もともと母アンナが残したレシピをもとにしているようです。

明治19年(1886年)。医師になった兄ウィリスが来日。母の弔慰金を元に勝海舟の用意した土地に病院を設立(赤坂病院、現在は日本基督教団赤坂教会になってます)。

勝海舟の息子と結婚

同じ年。クララは勝海舟の三男の梶梅太郎と結婚。勝海舟の知らない間に二人の仲は進んでいたようで、クララが妊娠してしまったので勝海舟は慌てて二人を結婚させました。

梅太郎との間には一男五女の子供が出来ました。子沢山なのでクララも明治女学校で英語教師をして家計を支えました。

 勝海舟が明治32年(1899年)に死亡。梶梅太郎はもともと頼りない男で稼げる男ではありません。翌年の明治33年(1900年)。クララは梶梅太郎を残し、子供を連れてアメリカに帰国。

勝海舟も自分の死後はクララがアメリカに帰るのを認めていたようです。勝家と勝の親戚はクララのアメリカでの生活のために仕送りをしていました。

梶梅太郎としては妻や子と別れたくはなかったようですが、家族を養う経済力もなく。クララが帰るのを見送ることしかできません。その後は離婚届けを出し。しばらくして榎本武揚の親戚の娘と再婚しました。

クララはアメリカで子供を育てました。勝家からの仕送りもありますがそれだけでは足りないので内職もしました。

1936年。クララは死亡。

以上がクララ・ホイットニーの日本での足跡です。クララ・ホイットニーはダンスの教師をしていたわけではありませんが。この時期、日本に来て活動していたアメリカ人女性。矢田部教授(ドラマでは田邊教授)の周辺にもいたという共通点があります。

牧野富太郎の妻・寿衛子は幼い頃に踊りは習っています。でも日本の踊りでした。ドラマのように西洋のダンスや音楽は習っていません。クララとの出会いも架空です。

 

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