大畑義平(おおはた ぎへい)と大畑イチ夫妻は2023年朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「らんまん」の登場人物です。
演じるの大畑義平(おおはた ぎへい)が奥田 瑛二さん
大畑イチは鶴田 真由さん。
大畑義平のモデルになったのは神田で印刷業をいとなむ太田義ニという人物です。
ドラマ「らんまん」の大畑義平・イチ夫婦とモデルになった 太田義ニを紹介します。
ドラマ「らんまん」の大畑義平・イチ とは
大畑義平(おおはた・ぎへい)
演:奥田 瑛二
神田にある大畑印刷所の店主。元火消しで血の気が多く怒りっぽいところも。
印刷技術を習いに来た槙野万太郎に印刷技術を教えます。万太郎は義平の指導で石版印刷の技術を習得しました。
大畑は万太郎から寿恵子との結婚について相談されたときは仲人を引き受けました。大畑は万太郎の釣書(身上書)をもって白梅堂に向かいます。
大畑イチ(おおはた・いち)
演:鶴田 真由
大畑義平の妻。典型的な江戸っ子のおばさん。血の気が多い夫を支え、多少のことでは動じない心の強い女性。
義平とともに万太郎と寿恵子の仲人をひきうけます。
また高知で綾と竹蔵が結婚するときもお祝いにやってきます。
大畑義平のモデル 太田義ニ
大畑義平にはモデル担った人がいます。それは印刷書の店主 太田義ニです。
でも太田義ニは一般人なので記録らしい記録はありません。牧野富太郎との交流の中からわかることを紹介しましょう。
牧野富太郎に印刷技術を伝える
東京の神田錦町にある印刷所の主。
印刷の発注ではなく「印刷の技術を教えてくれ」という牧野富太郎の変わった要望にも答えてくれる人物。牧野富太郎は大学のからの帰り、太田の印刷所に行って、石版印刷の技術と知識を学びました。牧野富太郎は1年間、技術を学ぶために工場に通いました。
牧野富太郎は東京にい続けるつもりではなかったので、印刷技術を学んだら佐川に帰るつもりでした。そのため印刷機も買っています。でも植物学を続けるためには佐川はあまりにも不便なので。東京に残りました。
技術を学んだ牧野富太郎はやがて「日本植物誌図編」という本を出版。
その出来栄えにはみんな驚き、かつて博物局で出迎えてくれた田中芳男も、小野 職愨。東大の矢田部良吉も松村任三も、ロシアの植物学者マキシモヴィッチも絶賛しました。
牧野富太郎と小沢寿衛子の仲をとりもつ
牧野富太郎は菓子屋の娘・小沢寿衛子と出会い、彼女が好きになってしまいます。しかし東京で暮らしている牧野富太郎にはこういうときどうすればいいか相談できる相手はいません。太田以外には。
印刷向上の主として従業員をまとめていた太田には親分気質なところもあったのでしょう。田舎からやってきて知り合った娘と結婚したいと相談してきた牧野富太郎の願いをひきうけました。
太田はその菓子屋に行くと、寿衛子の母・小沢あいに話しました。寿恵子の方もよく店に来る富太郎のことはよく覚えていましたし、富太郎に好意をもっていることもわかりました。富太郎は縁談のことは太田に任せました。
牧野富太郎の自叙伝によれば縁談はトントン拍子に進んだということです。確かに18歳の寿衛子は富太郎のことが好きでしたし、寿衛子は結婚する気になったようです。
1888年(明治21年)牧野富太郎と寿衛子は結婚。といっても身内だけのささやかなものです。ところがここに寿衛子の母は来ませんでした。
太田が言うには「寿衛子の母は今は京都にいて手がはなせないが。太田が責任をもつ」ということでした。人の善意を疑うことを知らない富太郎は太田を信じました。
でもどうやら寿衛子の母は二人の結婚に反対だったようです。理由は不明。富太郎の経済力に不安があったのかも知れません。
寿衛子は母の反対を押し切って富太郎の所に行ってしまったのかもしれません。寿衛子の母は京都に戻ってしまったようです。
とはいえ富太郎も高知から家族や親族を呼べる状況ではなく。親や親族が出席しないのはお互い様です。ごく身近な人達だけのささやかな結婚式でした。でも若い二人にはそれでも良かったのです。
そしてそんな二人をサポートしたのが太田だったようです。
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